言語化についてのツイートの記録(メモ)
先週の更新をサボりましたごめんなさい。 ちょっと本ブログとは別プロジェクトがクライマックスに差し掛かっていたので、お休みさせてもらいました。 詳細は省きますが、ちょうど昨夜、私の担当作業分が完了したので、更新再開です。
ただし、今日なんにもブログネタ考えてなかったので、ちょっと思うところがあってツイートした一連の記録を残すことにします。手抜きです。
元ツイート
まずきっかけはこちら。
言語化マニアのための言語化をテーマにした物語とか書きたい。手当たり次第にありとあらゆることを言語化する変態向けのやつ。
— 仰木日向📕『作詞少女』発売中 (@ogihinata) 2018年4月1日
いいですねー。 言語化の変態向けの本、読みたいですね―。
で、それを読んで、ちょっと思ったことをツイートしてみました。
概念には言語化することで削ぎ落とされる情報が必ず含まれていて、それはどれだけ言葉をつくしても表現しきれず、でも言語化以外の方法なら伝えられる。たぶん「概念」という言葉が適切でないけど(「感情」も一部含まれるかもしれない)、私はそう考えていて、→
— 木牛流馬が動かない@はてブ (@cannot_move_mkg) 2018年4月3日
→だからこそ言語化できる概念は言語化できるようになりたくて訓練のために下手ながら慣れないブログなんぞ書いている。書けば書くほど深遠な世界が広がっていることはなんとなく感じるようになってきたりもしてる。
— 木牛流馬が動かない@はてブ (@cannot_move_mkg) 2018年4月3日
まぁつまり、言語化の物語はすごく読みたい。
超高性能な言語情報圧縮フォーマットとしての俳句
こんな何いってんだかわからないクソツイに、ありがたいことにリプいただきました。
ARの大家暦本教授が最近「俳句は17文字で脳のAPIを叩いてどんなVRにも表現できないリアリティをその人に再現する」と言ってました。
— 弦音なるよ (@naruyo_t) 2018年4月3日
そのとき例に挙げていたのが高屋窓秋の「頭の中で白い夏野となっている」の句で、もはやクオリアである、と。感情レベルの極めて主観的かつ抽象的な体験も、技能さえあれば言語化可能と思います。まあ、素人にできないから価値なんだけど。
— 弦音なるよ (@naruyo_t) 2018年4月3日
ほほう、深い。 おそらくオリジナルはこちらですね。
俳句は究極のバーチャルリアリティ。いやVRを越えている。8Kとか360度とかタクタイルとか技術を尽くしても おおかみに蛍が一つ付いていた 蛾のまなこ赤光なれば海を恋う と言われて脳のなかにばーんと広がる世界感にかなわない気がしている。
— Jun Rekimoto : 暦本純一 (@rkmt) 2018年2月21日
VR(バーチャルリアリティ)界の一方の雄、東大の暦本教授がこの発言をされる、というところにシビレます。 今調べたら、ソニーコンピュータサイエンス研究所の副所長も兼務されてたんですね。
で、それに対する私の返事。
ふむ、深いすね。
— 木牛流馬が動かない@はてブ (@cannot_move_mkg) 2018年4月3日
ただ、主観的も抽象的も言語化可能かどうかには影響しないと思っていて、私が気になっているのは、俳句なら17文字に入らない、でも確実に伝わる部分ってなんだろう?ということ。クオリアなのか情報圧縮アルゴリズムなのか民俗文化なのか。一言で片付くものでもないと思うけど。
これに関しては、直接の答えではないけれども、再び暦本教授を参照させていただく。
言語はデータではなくコマンドだと思えば当然かも。コンピュータを立ち上げて数コマンド打ち込んで映像が出てきたとき、その数コマンドの情報量によって映像が生成されたとも言える。
— Jun Rekimoto : 暦本純一 (@rkmt) 2018年2月28日
コンピューターで例えると、たとえばWindowsなら同一コマンドはまったく同じ機能をもつように思えますが、実はCPUなどのハードウェアや接続している外部機器、インストールしている他のソフトウェアなどによって動作が変わるものです。 それと同じように、俳句という17文字のコマンドは人間に入力されると、ある程度の再現性をもって映像(情景、記憶、シチュエーション、シナリオなど)が目に浮かべることができる機能をもちます。
ただし、コマンドはその実行環境が重要。 同じように俳句を入力しても、個人個人で異なるハードウェアを持っているなら、その出力(想起される映像)は一見似ていても、ディテールをよく見ると全く違うものであったりするわけです。 と、私は理解しました。なるほどねー
ただ、そうなると次の疑問が生まれます。
同じ俳句から複数の人がある程度似た映像を想起することができるとして、より多くの人が共通して見ることのできる映像と、ごく少数しか見られない映像(大多数との差異)があるなら、そこにある違いはなんなのでしょうか?
どうすれば、多くの人に共通して見られる映像データベースを、見る人の脳に(あらかじめ)詰め込むことができるのでしょうか?
まぁ答えはここでは出ないんですが、その脳内の共通データベースは我々が「文化」と呼んでいるものに近いだろう、と推測しています。まぁその「文化」がよく分からないので本読んだり美術館行ったりしてるんですけどね。
ならば、教育とコンテンツの影響は大きいですね。現代ならTVも無関係ではなさそう。
[★]
言語化は経験と記憶に依存
再び頂いたリプについて。
なるほど、経験と記憶に依存、は確かにそうかも。言葉だけで他人の記憶に干渉して(著者が意図した「記憶」を他人の脳に呼び覚ましてもらって)、言葉の意味の理解を求めるなんてのは難易度が高いのは間違いないすね。だってみんな違う記憶を持っているから。
— 木牛流馬が動かない@はてブ (@cannot_move_mkg) 2018年4月3日
それでも私は今でも、言語化不可能なものはあると思ってます。もう少し正確には「不可能」というよりは、言語化は事象のある一面の表現であって、どれだけ高いスキルをもって言語化しても全てを表現しきれないと考えてます。
— 木牛流馬が動かない@はてブ (@cannot_move_mkg) 2018年4月3日
言語化不可能な事象が存在する、つまり言語化には限界がある、という仮説には賛成です。ではそれは何なのか、言語化が最大限できたとしてもその先にあるものはなにか、という境界条件を言語化できると、スッキリしそうな気がしますね。
— 弦音なるよ (@naruyo_t) 2018年4月3日
最低限の言語化スキルがないとお話にならない、ということですね。 精進します…
言語化プロセスの整理
書けば書くほど自分の内面と向き合わなければならなくて、どうやって内面に深く潜りこむかを日々模索しているつもりだけど、どれだけ本を読んでも自分の中から湧き上がる何かを掴む訓練をしないと、結局意味がなくて、でも「掴む」方法が言語化そのままかというとそうでもない。
— 木牛流馬が動かない@はてブ (@cannot_move_mkg) 2018年4月3日
某雑誌で某雑曲家の方がこんなことをいっていました
曲を作るのは、後ろからそっと虫を捕まえるのと似ている
Sound & Recording Magazine 2018年1月号
私は「曲を作る」ことはこれまで書いてきた「言語化」に近い作業だと考えています。つまり、どちらも自分の内面にある思考やなんらかの感情を認識し、なるべくそのままの形ですくい上げて、人に伝わる表現として外部化する作業です。 この分類(手順)の是非についてには異論反論あるでしょうが、私はこう考えているということで。
で、この各手順をうまくやらないと、「内面にある思考やなんらかの感情」がうまく捉えられない、と考えてます。 上の引用文は、それを虫のように逃げていってしまう捉えにくいもの(でもうまくやれば捕まえられるもの)、という比喩です。
ちなみに、この発言をした作曲家さんは同記事で、この作業のときはデジタル機器を使わずに紙の楽譜で曲をつくる、というメソッドを紹介していました。こういう虫取り網は個人依存の部分も多く、なかなかメソッド化されにくいところです。
さて、ここで3つのステップに分けましたが、それぞれに必要となるスキルを考えたときに、私は以下のように考えています。
- 「思考や感情の認識」 → 瞑想や自己との対話
2.「すくい上げる」 → ?
3.「表現として外部化」 → 芸術的テクニック
1つめは、そんな思考や感情が「ある」ことを認識するだけ。おそらく観察系の瞑想が効くと思います。
この2つめがわからないのですが、思考や感情を表現として外部化するための準備が必要と思っています。たぶんここが芸術作品の「メッセージ」に相当する部分ではないかと推測しています。
3つ目は、文章力や作曲法など、いわゆる芸術的スキル。ここは練習あるのみ。
ご指摘のとおり、表現にも自己の外部化と他人に伝わる部分とあるから、どこの問題とも(まだ)分からないけど。
— 木牛流馬が動かない@はてブ (@cannot_move_mkg) 2018年4月3日
このツイートの「自己の外部化」が2番
、「他人に伝わる部分」が3番
、に相当するのではないかと思います。
一般的に「スキル」といえば3番
を指すことが多いけど、より重要なのが2番
じゃないかな、と。

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余談ですが、おそらく『作詞少女』はそのへんのことが書かれている、と推測しています。 すごく読みたい本なのですが、私はKindleで読みたいので、 実は未読です。そろそろ紙の本で買わないといけないかも。
「思う」と「言語化」の間になにかある気はしている。
— 木牛流馬が動かない@はてブ (@cannot_move_mkg) 2018年4月3日
まとまらないけど、おしまい。 来週からちゃんと書きます。