木牛流馬が動かない

テクノロジーや気付きによる日常生活のアップデートに焦点をあて、個人と世界が変わる瞬間に何が起きるのかを見極めるブログ。テーマは人類史、芸術文化、便利ツール、育児記録、書評など。

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日本の歴史教育に一言物申す

別に日教組とかネトウヨがどうのこうのとかの話ではなく。 先日、時間の流れの話を書きましたが、もう一つ別の観点から書きたいことがあります。

euphoniumize-45th.hatenablog.com

レキシは誰が作る?

私は常々、ある年齢(高校生あたり)以上においては歴史を現行と逆向きに教えるべき、と考えています。

年号でいえば「平成→昭和→大正→明治→慶應→…」の順です。

なぜって、物語じゃないんだから、そのほうが絶対わかりやすいからです。

ひとつ例を挙げてみます。

明治維新の例

現行の日本政府の基本的な枠組みは、明治維新のときに作られたものを踏襲していると言われています。 明治維新政府の体制は、幕末に坂本龍馬(と勝海舟)が構想した「船中八策」をベースにしたと言われています。(ここではその説の真偽は問いません) 龍馬には、幕末の時点で将来実現したい理想の社会像が見えていたわけです。だから「船中八策」を書いた。

別に私はそこまで龍馬推しではありませんが、仮に現代から龍馬まで遡るだけでも、いろいろな疑問や現代どの繋がりが見えてきます。たとえば。

  • では龍馬は、当時の体制のどこに問題があると考えていたのか?
  • そもそも当時はどんな体制だったのか?
  • 明治維新では幕府側と維新政府側でそれぞれ何が起きていたのか?
  • 明治維新政府の仕組みのうち、現代まで続いているものは何か?(続かなかったものは何か?)

といった感じ。 これで授業を組み立ててみてはどうか、ということです。

ある時代またはその転換期をテーマに据えてこのような授業を行うと、毎回必ず「現代」まで「遡る」ことができます。 つまり「現代」に対する理解が現行スタイルよりも深まるわけです。

これと同じことを、都市をテーマに繰り広げているのが『ブラタモリ』です。少なくとも私はそう思って観ています。あの番組は、歴史(というか地学)を扱っていても、あくまで軸を現代に据えています。

日本史の授業時間のうち「平成」を扱う割合が、現行スタイルでどのくらいかは知りませんが、未来から過去へ学ぶスタイルのほうが明らかに多い。

逆に、当然ながら、このスタイルでは古い時代ほど授業で割ける時間は少なくなります。 でも現行スタイルでもそのリスクは同じ。 ごく短時間または最悪ゼロ時間しか授業で扱えない「時代」がどうしても発生するとして(1年間で歴史全部やるのだからそれは仕方ないと思います)、「弥生縄文」と「平成昭和」のどちらを省くほうが教育としてマシか、ということです。「マシ」の判断基準にもよるでしょうけど。 (一応言っておきますが、私は縄文弥生文化大好きです。そうじゃなきゃ『サピエンス全史』なんて読まないです)

一方、歴史の「継続性」を重視する意見もあるかと思います。 もちろんそれはそれで必要なものですので、それは「導入」または「概論」として、細かいところには踏み込まずに古代から現代(2018年)まで駆け抜ける授業をやればよろしい。「通史」と呼ぶほうがいいのかな。 なんなら担当教師を別にしてもよいと思います。

余談ですが、私の高校時代のある日本史教師は、本当にそんな授業をやっていました。 最初の授業で「俺の授業では縄文から小泉総理(当時)まで行く」と宣言し、本当に辿り着いたのです。これは衝撃でした。

ぶっちゃけちゃえば、現行のスタイルは、過去から未来への時系列に沿うとはいえ、どうせ政治、地理、文化などあっちこっち話題は飛ぶので、聞く側(学生)からすれば継続性もなにもあったものではないと思うんですよね。

念のため書いておきますが、件の『サピエンス全史』シリーズは「導入」のつもりでしたので、過去→未来の時系列でまとめました。

euphoniumize-45th.hatenablog.com

(余談) 歴史が変わる話

時々「歴史が変わる」のも未来に原因があるからです。 聖徳太子がいるとかいないとか、千葉時代があったけど滅んだとか、それらはすべて、その当時ではなく「未来」である現在が決定(解釈)した歴史です。

歴史は、ネタバレしても授業に支障が出ることはありませんし(たぶん…)、もし出来事の因果関係を重視するならば、未来から過去へ辿る授業というのも悪くないと思うわけです。

というわけで、こんな授業いかがでしょうか? (誰に向けて伝えればいいのか分かりませんが)

それはそうと、『バンデッド』とか『センゴク』とか大河ドラマ化しないかなー(しないだろうなー)