木牛流馬が動かない

テクノロジーや気付きによる日常生活のアップデートに焦点をあて、個人と世界が変わる瞬間に何が起きるのかを見極めるブログ。テーマは人類史、芸術文化、便利ツール、育児記録、書評など。

木牛流馬が動かない

GPD Pocket開封の儀

最近新しいモバイル用ノートPCを購入したのですが、これがまた面白いガジェットでございましたので、レビューします。

GPD Pocketとは

中国・深セン1のGPD (Game Pad Digital)社が開発したモバイルノートPCです。一言でいえば、とにかく小型で高性能で、モバイル用途に特化したガジェットです。

概要はこちらの動画をどうぞ。
www.youtube.com

なかなか十分な性能と思いませんか? これで本当にポケットに入るサイズなのです。

しかも実質6万円程度とお安い。 これだよ、これ!

私がモバイルPCに求める条件を満たしてくれる製品を長年探していたのですが、やっと巡り会った感があります。

本製品は、発売当時からその性能やクラウドファンディングで資金集めしたことなど話題になっていました。 しかし個人的にノートPCを買い替えたばかりのタイミングだったので、たいしてチェックしていませんでした。 最近、再ロットしたという噂をもとに探してみたら、あっさりAmazonで発見したので即購入、というわけです。

モバイルPCに求める条件

その条件はこちら。

  • 使用シーン
    • カフェでがっつり長文テキスト入力
    • 思いついたことをメモ(主に電車移動中など)
    • クラウドストレージに入れた資料(PDFとか)の閲覧
    • 最低限のメールチェックとWebブラウザ
    • MS Officeは不要(Power Pointはあってもいいけど)
    • 簡単なプログラミング(Pythonで小さいスクリプトを作るくらい)
  • ガジェット本体に求める機能・性能
    • マルチタスキング
    • そこそこ強いCPU
    • ストレージ容量はシステムの更新が常に保てる程度あればよい
    • 小さい、軽い、薄い
    • カッコいい

やはりモバイルは必要最低限であってこそ。 フルスペックの全部入りのノートPCなんて、モバイルガジェットとしては楽しくありません。 MacBook Proが金額的に手が出ないからのやっかみではありません。

モバイルガジェット遍歴

その前に、私がこれまで使ってきたモバイル端末をさらします。 基本的なスタイルとして、最低限のスペックがあればよく、フリーソフトを駆使してカスタマイズして使うのが好きです。

適当なノートPC

思い返してみると、おそらく学生時代に課題のレポート書いたりするためのガジェットを求めたのが最初のような気がします。 Windows MeとかXPとか。家族用を実質的に独占。

Let's noteとか欲しかったけど、学生の身では手が出ない。 というか、音楽にお金を使っていたので。

でも、やはり自宅から通いの身としては、単純に重量がつらかった。 このへんからノマドスタイルに憧れる。

Apple iPad (初代)

2010年発売。発売当初は衝撃的なガジェットでしたね。

ようやくまともなモバイルガジェットが登場したと、期待して購入しました。 実際、だいぶ使い込みました。

一番の問題は、マルチタスクに非対応であること。これはその後私が長らくiOS を敬遠する理由の1つでもあるのですが、やはりテキストエディタとブラウザくらいは同時に切り替えながら使いたい。

その後、Androidスマートフォンに移行してからは、そのうちアップデートが提供されなくなったこともあり、御役御免と相成りました。

MPGT2J/A ゴールド iPad Wi-Fi 32GB 2017年春モデル(iOS)

MPGT2J/A ゴールド iPad Wi-Fi 32GB 2017年春モデル(iOS)

スマホ+BTキーボード

Androidスマートフォンが(JとかKあたりから)そこそこの性能を持つようになったので、スマートフォン単体で作業が完結するならそれに越したことはない、と使い始めました。

最終的にたどり着いた結論は、こちら。
euphoniumize-45th.hatenablog.com

やはり物理キーボードがあると、作業効率が格段に上がります。 Bluetoothキーボードを接続して入力するスタイルは、私は相性がよかった。

このスタイルには2つ問題がありました。

1つ目は、どうしてもディスプレイ(スマートフォン)を置く机が必要になること。 カフェとかなら机があるのでいいのですが、電車移動中とかは無理。 この問題は最後まで解決しませんでした。まぁノートPC使えばいいわけですからね…

2つ目は、使っていたBluetoothキーボードがよく接続が途切れて誤動作すること。タッチの感触やサイズ感などがベストマッチだったので使っていたキーボードでしたが、バグってBackSpaceキー長押し状態を維持したままハングアップしたのは、ただ消えていく文字列(その直前に長時間かけて書いたテキスト)を眺めるしかない悲しい出来事でした。

まぁこんな感じで問題もありましたしたので、書きたいことがあるときだけの限定的な使い方になりました。

Lenovo YOGA Tablet with Windows

いわゆる2 in 1ってやつですね。 タブレットとノートPCのどちらとしても使えるタイプです。

ちょうど海外出張があるタイミングで、買い替えました。 主に、軽量、薄型、デザインで決めました。 3~4年くらいは使ったかな。

なかなか面白いガジェットでしたが、2017年末頃からWindows Updateが適用できなくなり、お役御免となりました2

GPD Pocketレビュー

で、本題です。

私はPC(本体)が好きなので、製造メーカーを評価する基準にどれだけ面白いPCを出せるか、は重視しているのです。

最近は(Amazonで買ったものとかで)チャイナ品質もそこそこ上がっているとは思っていましたが、(マーケティング的に)これほど尖った製品が出せるとは、チャイナへの認識を改めねばなりません。

開封の儀

ほかの紹介ブログにも写真は載っているので、特に目新しいことはないのですが、自分的記録なので載せます。

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化粧箱から小さい。
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本体とケーブルだけ。
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ロゴとか一切無しのシンプルデザイン。超好み。
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この超小型なサイズ感がわくわくさん。でもキー配列が変。

セットアップ

あまりやることはなく、GoogleドライブとOneDriveを同期するくらいです。

なぜなら、必要なツール(のインストーラー)をそこに全て入れているため。同期さえすればどこでも同じ環境で作業できるようにしています。 それぞれのツールは必要になった時にインストールすればよろしい。アカウント関係はセキュリティソフトLastPassで管理しているので、ログインも楽チンです。

使用感

約1ヶ月使っていますが、だいぶいいです。 ブログ記事書くのと、家のこまごました事務作業が捗っています。

一番のメリットは、サイズ感と言いたいところですが、スピード感ですね。 常に持ち歩けてさっと取り出せて、というところまでは小型だから当然といえば当然なのですが、加えて性能面が優れているため、開いてすぐに使えるスピード感が大変よろしいです。 コールドスタートでも十数秒で使用可能になります。

これはそこらのタブレット端末でも出来ることではありますが、上にも書いたように、私にとっては物理キーボードが重要。 これを備えている端末で(しかも格安で)、このスピード感はあまりないと思います。

USB-Type Cは初使用ですが、上下の向きを気にしなくて挿せるのは素晴らしいですね。

また、外部モニター出力用のアダプターが付属するセットを購入したので、必要なら大画面に写すこともできます。

続けて、細々したところの感想。

キーボード

上の写真見ても分かるように、キーボードが特殊です。 なので、ここに慣れるかどうか、が使いこなせるかどうかの第1関門になります。

私はキー配置を変更し、変更後のキーをテプラで貼っています。 f:id:euphoniumize-45th:20180521235711p:plain もう少しこだわりところだけど、ひとまずこれで使っています。 これで作業効率が爆上げです。

ちなみに、使っているキー変更ツールはこちら。 forest.watch.impress.co.jp

マウス

トラックポインターが搭載されていますが、私は好きくないので、別途、小型マウスを購入しBluetoothで接続しています。

ショートカットキーの登録

よく使うアプリをショートカットキーで起動できるようにしています。 これはGPD Pocketには直接関係なく、家も職場も含め、すべてのWindows PCで行っている設定です。 ショートカットアイコンのプロパティから設定できます。

f:id:euphoniumize-45th:20180522001136p:plain

その他カスタマイズ

厳密にいえば、GPD PocketはノートPCではありません。 横型で、キーボードも備え付け、Windows 10 Homeがインストールできる、Linuxタブレットです。 なので、ユーザー自身による多少のカスタマイズは必要。

最低限必要なのは(ロットにも依るみたいですが)、ディスプレイを閉じた時にスリープが解除される(ことがある)不具合の回避。 結構熱を持つので、症状が起きるなら、対策必須です。

その他にもいろいろカスタマイズが独特なので、いじり甲斐はあります。

新規ユーザーは、Wikiがあるので、まずは読みましょう。
https://gpd.wiki/index.php?GPD%20Pocket

まとめ

こまごましたところばかり書きましたが、だいぶ面白い端末です。 迷っている方は、文句なくオススメです。

参考リンク

https://shop.tsukumo.co.jp/features/180110g


Gemini PDAもよさげ

http://blog.mobilehackerz.jp/2017/06/pcgpd-pocket.html

GPD Pocketで再燃、ミニノートPC熱を楽しんだ2017年


  1. いい加減、漢字変換対応してほしい

  2. これまで使っていたノートPCでは、ストレージ容量が最新のWindows Updateに足りませんでした。ほぼすべてのアプリをアンインストールしても。。。

音楽がわかるって何? / 書評『音楽入門』(2/2)

前回は音楽の歴史を振り返りました。

euphoniumize-45th.hatenablog.com

今回は、音楽とは一体なんなのか? 人間との関係は?というところを考えていきます。

音楽と絵画と文章の比較

まず芸術作品としての分類上、音楽と絵画と文章の3つについて、それぞれの共通点や違いを考えてみたいと思います。 単にそれぞれの特徴の確認が目的であり、優劣を付けたいわけではありません。

芸術作品はその芸術性やメッセージ性を人間に伝えることが役割ですので、 芸術作品を鑑賞すること、その最初の段階として、作品のもつ情報を人間に入力するところに注目してみます。

文章

文章(たとえば小説や童話や詩など)は、ストーリー構成が非常に大切な要素であることは言うまでもありません。 しかしながら、段落の流れや一文一文の描写なども重要であることも論をまたない事実。

これは、文章が極めてリニアな表現方法であることが、大きな要因を占めます。

ここでは、リニアとは時間的に1次元的な情報伝達であることを指す。
言い換えると、もし仮に一切改行をしないなら、文章は一直線で取り扱うことができるという意味です(改行も表現の1つであることは承知の上で)。

さらに言い換えると、文章は表現手法だけでなく、その伝達においても時間的にリニアです。
文章は、目で読んでも、(朗読などを)耳で聞いても伝達することができます。 つまり伝達媒体に依らない情報としての芸術。 「言葉」という情報伝達手段そのものが表現手法でもあるわけです。

絵画/イラスト

絵画やイラストは、視覚による鑑賞を求める芸術。 対象物は、構図とその構成要素となる人間や動物や静物やその他の何かを描いたもの。 作品のサイズの大小はあるものの、一目見れば、どんな絵なのか全体像がつかむことができます(その絵の内容を理解できるかどうかは別問題)。

つまり、絵は、面での情報伝達。2次元です。

また、絵画においては、色彩も構図とならぶ重要な要素。 ファン=エイク兄弟の絵具技術や、印象派の光の表現も、色彩に革命をもたらしました。 これも含めるとするなら、「構図(≒タテ+ヨコ)、色」の3次元とみなすことができます。

分かりやすいのが液晶ディスプレイなどでデジタル化した場合。すべてピクセルの位置と色の情報で表すことができます。

ドローン1374台で絵を書く

この他に絵画の表現要素が思いつかないので、とりあえずこれでいきます。

ちなみに彫刻について。
彫刻は我々と同じ3次元世界の立体物ですが、絵と同じように「見る」ことで情報伝達するという意味では、私は絵画と同じ表現手法に分類されると考えています (もし「作品を触る」など別の鑑賞方法が提示されるなら、この限りではない)。

音楽

音楽は、入力が聴覚に限られます。

耳で聴くという行為は、時間的には(耳的には)リニアですが、その内容は高度に複雑な情報を「同時に」含んで伝達されます。 分かりやすくいえば、ボーカルもギターもベースもドラムも同時に鳴ってこそ、音楽として認識することができるということ。 とはいえ、複数音が同時に鳴ると話が混乱するので、単独音(たとえばアカペラ)で考えてみましょう。


歌詞もなく単独音ならこの曲がわかりやすい (伴奏は無視してください)

上に書きましたが、文章を読む時(朗読を聴く時)、同時に伝達する情報は1つだけです。 右耳と左耳で同時に別々の話が聞こえてきたら、聖徳太子ならともかく、これらを聞き分けるのは困難です。 何より、左右それぞれの文章情報は独立した1次元のものです。 (バイノーラル録音とか例外もあります)

しかし音楽は違う。 音楽の基本的な構成要素としては、前回上げたように3要素があります。

  • リズム
  • メロディ
  • ハーモニー

ハーモニーは、大きくキーとスケールに分類されますが、まぁ今はまとめていいでしょう。

さらに、演奏楽器の特徴もあります。歌なら、声色。

他にもありそうですが、曲の持つ情報としては、これだけでも4次元。1

音楽は、これらが同時に鳴るわけで、同時に鳴らないと音楽として成立しないのです。

ちなみに、一般に普段よく耳にする曲は、同時に異なる楽器の音が鳴ります。
メロディとベースと伴奏を同時に演奏することで、音楽として認識できるようになる、といえばイメージしやすいでしょうか。2 これは前回見たように、9世紀以降のポリフォニーの発見とその後のモノフォニーへの変化による影響が大きいです。 それ以前の時代では独唱や斉唱という単一メロディの音楽が主流でした。そのへんの話は前回記事を参照。

高次元のものは理解できない

上で書いたように、文章を1次元、絵画を3次元的な表現手法と捉えると、3次元世界に生きる私達はそれを理解することができるわけです。 科学の立場では、自分のいる世界よりも低次元のものは理解できる、としており、一応現実はそれに基づいたものである前提です。

一方、音楽は4次元以上の情報を持ちます。 我々人間が存在している3次元世界よりも高い次元の世界であることになり、我々がこれを理解しようとするのは不可能ということになります。 しかも、やっかいなことに、目に見えない。

おそらく私の設定した音楽は4次元表現という仮説か、我々の住む世界が3次元空間下にあるという前提か、音楽を理解できるという認識のいずれか(あるいは全部)がなにか間違っているんだと思います。

物理的性質の話ではありません。表現あるいは情報としての次元の話です。念のため。

次元とはなにか 0次元から始めて多次元、余剰次元まで、空間と時空の謎に迫る!! (サイエンス・アイ新書)

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(余談)鑑賞時間の話

音楽はこれまでに挙げた表現方法の中で唯一、鑑賞者の鑑賞時間を半強制的に束縛します。

読書は、読者が各人の好きなペースで読めばいい。

絵画は、脳の認識作業自体は一瞬であるから何度も鑑賞することになりますが、その回数と時間は鑑賞者が決めることができます。 もちろんこれは、美術館に何度も行くという意味ではなく、「2度見」が近い概念。

音楽は、表現者がその表現と伝達に要する時間を決めます。 表現者とは、演奏者のこともあるし、コンピューター音楽が当たり前となった今では作曲家、編曲家などが決めることもある。
鑑賞者は、現代でこそ録音された音楽を再生する速度を調節し、あるいは一部分をカットし、あるいは「10秒飛ばす」ボタンを押すことで、ある程度鑑賞時間をコントロールすることはできますが、音楽作品そのものの鑑賞所要時間は原則、表現者のそれに従うことになります。

まぁこれはそうですね。というだけ。

音楽を理解するとは?

音楽に限らず「物事を理解する」とはどういうことでしょうか?

り かい [1] 【理解】
( 名 ) スル
①物事のしくみや状況,また,その意味するところなどを論理によって判断しわかること。納得すること。のみこむこと。 「内容を正しく-する」 「 -力」
②相手の立場や気持ちをくみとること。 「 -ある態度」 「相互の-を深める」
③道理。わけ。また,道理を説いて聞かせること。 「義理ある兄貴の-でも/人情本・軒並娘八丈」 → 理会
④「 了解 」に同じ。 〔同音語の「理会」は物事の道理を悟ることであるが,それに対して「理解」は物事の意味・内容をわかることをいう〕
理解 - Weblio 辞書

私の定義では、物事の意味するところを言語化できたなら、少なくとも自分のこれまでの知識に近しい感覚のものがあることを思い出して論理的に結びつけることができたなら、これを「理解」と呼んでよいかと考えてます。

あくまで私は、です。 異論反論あるでしょうが、先にいきます。

音楽を理解するとはどういうことでしょうか?

私たちは、しばしば「この音楽はわからない」という言葉に接しますが、その場合ほとんどすべての人は、自分の中に、その音楽にぴったり合うような心象を描き得ないという意味のことを訴えるのです。この心象は、その人によって異なり、哲学、宗教、文学といったものから視覚的なもの、とにかく、音楽ならざる一切のものが含まれております。
もし、そうだとするばらば、その人達が音楽を理解し得たと考えた場合は、実は音楽の本来の鑑賞からは、極めて遠いところにいることになり、理解し得ないと感じた場合、逆説のようではありますが、初めて真の理解に達し得る立場に立っていることになるのです。
第2章:ロケーション333

非言語表現である音楽(たとえば初めて聴く曲)に触れたとき、ムリヤリにでも「言葉」で表現できれば「その音楽を理解できた」とみなすことに、著者は警鐘を鳴らしているわけです。 しかし難しいのが、「わからない」という状況は「理解に達し得る立場」なだけで、そこからどうやって理解に達するのか、は謎です。

文学などの言語表現を言語で理解することは、まぁそのままです。

絵画は、音楽と同じで「文章で」理解する必要はないわけです。 このことは、芸術作品に「意味」を求める姿勢が関係しています。

ですから、全てこのような音楽に触れてきた私たちは、純粋に音楽的な作品に接すると、その音楽が何を示しているかを知ろうと、努力するようになるのです。そうして、もし自分の満足行く答えが出ない場合には、その作品を理解し得ないと思い込むのです。
「鳥の鳴く声を聴いて誰もその意味を理解しようとしない。それで、聴いて楽しいではないか、それなのに何故、自分に向かって作品の説明を求めるのだろう」これは画家ピカソの言葉なのですが、むしろ音楽の場合にこそいわれていい言葉なのです。
ここにピカソが言っているように、絵画にあっても、鑑賞者は作者にその作品の意味をたずねるのです。 しかし、その意味を汲み取り得たと考え、また鑑賞し得たと考えている態度は、あるいは純粋絵画の立場からは誤解だったのかもしれません。また、誤解も成立しうる立場を古典の作家たちは喜んでとったのです。
このことはそのまま、音楽の世界に当てはまるように思われるのです。

第2章:ロケーション391

作品についてを言語化すること、少なくともこれまでの記憶や経験との符合(一致)を発見することは、ある種の「安心」をもたらします。「解決」といってもよいかもしれません。 科学技術は、これを理論と実験をもって積み重ねることで成長を続け、現代では支配的な力を持つまでになりました。 音楽を科学的に分析する研究も進んでいて、それはそれで音楽自身の進化にも寄与しています。

では、未知の表現にふれたときに、「安心」さえすればいいのかというと、必ずしもそうではないだろうと。 安心を求めることそのものは生物の本能的な欲求なので止めようがありませんが、常に「言語による」安心である必要はないと考えることは、芸術においては十分意味のあることだと考えます。 「言葉では表せないもの」という「解決」があってもいいはずです。

芸術家たちは、意識/無意識的にかかわらずその感覚を持っていて作品を通して伝えていると思いますが、一般人が鑑賞する際に言語化しなければ「理解」できないのは、なんというかモヤります。 上で書いた高次元の話につながりますが、非言語表現を言語化すると次元が下がるわけで、削ぎ落とされる情報がどうしても発生してしまうのです3

もっと言えば、音楽を聞いて感動した体験を言葉にするなんて無粋なことは本来したくないのです。 たとえ私が誰もが頷く名文が書ける作家であったとしても。 音楽を言葉にしたならばそれはもはや別物であり、できることなら音楽として感じたまま4にしておきたいのです。

もちろん、その感動やらをその音楽を聞いていない人に伝えたり後世に残すためには、今現在はどうしても言葉にしなければならないという人類の制約条件が立ちはだかることは承知しています。

私たちは音楽の印象を述べる場合、適当な表現法が見つからないので、他の連想的な言葉を借用します。これ以外に今のところ適当な方法がないのです。
第二章 : ロケーション368

しかし、個人が「感じる」ことに絞れば、音楽は音楽のまま残しておくことが最もふさわしいのです。 たとえばアインシュタインの脳を保存しておくのだって、似たようなコンセプトなわけでしょう?

物語

まぁ次元の話は半分冗談なんですが、音楽の理解に関して、私なりの結論を書いておきます。

キーワードは「物語性」。

著者の言う「誤った鑑賞態度」が音楽に求めるものは、音楽による「文章に変換可能な」物語、です。 シーンをイメージしやすい曲は、たしかに「理解」しやすいです。逆に、イメージしにくい曲は「理解」しにくい。

だから、現代人の感覚を最もよく表現しているはずの現代音楽が難解であり、まるで「映画のワンシーンのような」何百年も前のベートーヴェンが心を打つと言われ現代でも人気を博しているわけです。

音楽の本質は、音による物語であると私は考えます。 あくまでリズムやメロディやハーモニーの響きや動きを(音として)楽しむもの。

音楽からイメージされうる(たとえば小説や映画やマンガのワンシーンのような)物語は、音楽の理解という側面においては不要であると言えるのです。 もちろんそのようなイメージを楽しむことを否定する気はありません。私自身、映画やゲームのサウンドトラックとか大好きですし。

それでも純粋に音楽について考えるなら、きれいなメロディはきれいなメロディだから価値があるのであり、「ジブリっぽい」とか言ってしまうと(たとえポジティブな意味合いであったとしても)、本当に音楽について話しているかはわからないということになります。

その意味では、人間が音楽を理解することは、ひょっとしたら永劫できないのかもしれません。

音だけが表現しうる美の世界があるとして、そのような世界に人間が辿りつけるものだろうか?

やまむらはじめ『天にひびき』より

まとめ

今回の記事が詭弁か妄想の類であることは自覚しています。 音楽はこれだけ人間を魅了し続けえ、その謎はいつまで経っても尽きることがなく、だからこそ面白いですよね、と言いたかっただけです。 論理的なふりをしてまったく整合がとれなかったし。

とはいえ、文章化すれば理解が容易なのかといえば、私はそうも思っていなくて、むしろ文章を理解するほうが難しいのではないか、とすら思います。 私個人の感覚でいえば、言葉を言葉のまま理解できることはあまりなくて、自分の中で直感的に腑に落ちるまで「理解」できません。 たとえば実体験を思い出したり、イメージ図などに落とし込むことができると、「分かる」とみなしています。

要は、それぞれ別の表現による芸術なのであって、別物であることを意識できるなら、好きなように楽しめばよいということですね。

参考リンク


芸術作品の「タイトル」について、本書からちょろっと引用。


私が本書を読むきっかけとなった本。

ANAが社員に「西洋美術史」を学ばせる理由 - ダイヤモンド・オンライン


  1. 歌詞は文章なので、ここでは除外してよいでしょう。

  2. 演奏者が4人いれば4次元とみなすこともできますが、分析しづらいので、ここではその考えはとりません。

  3. 言語を低級表現と言っているわけではありません。

  4. 現代では「音楽を感じたまま残」すことができるのは、あくまでも音楽を聴いたときの感情・感想だけであり、音楽そのものを保存できるわけではない。

音楽の歴史をざっと振り返る / 書評『音楽入門』(1/2)

『音楽入門』 伊福部昭

★★★★★

GWといえばラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン。 東京有楽町エリアを中心に毎年開催される、クラシック音楽の祭典です。 初回から(ほぼ)毎年通っている私ですが、今年は諸事情により参加できず。

www.lfj.jp

代わりと言ってはナンですが、音楽についての総括的な本を読みましたので、書評を兼ねて、ざっと音楽の歴史を振り返ってみたいと思います。ラ・フォル・ジュルネクラシック音楽に興味が湧いた人が、その勢いのまま読んで、どっぷりハマってくれるといいなぁ。

本書の著者と想定読者

著者は、現代の作曲家の大御所、伊福部昭氏。 1914(大正3)年生まれ、2006年に91歳で亡くなられています。 氏の名前は知らなくても、代表作は誰もが知っています。『ゴジラのテーマ』。 もちろん劇伴だけでなく、オーケストラやミニマル・ミュージック1など活躍は多岐に渡ります。

さて本書のタイトルの「音楽」ですが、ただ通勤通学中に適当に聴き流すようなポップスなんかは対象に含まれないと考えるほうがよさそうです。広義では含んでもよいでしょうが、著者の想定する「音楽」といま一般的に売れている(たとえばSpotifyでランクインするような)曲にギャップがありすぎるため、別物を指していると考えたほうが理解しやすいです。 ここ100年程度のいわゆるポップスは扱うには扱うとしても、人類の音楽史全体の歴史的、芸術的な重要度から考えると(というか著者がそのように考えた結果)、どうしても割合として微々たるものになってしまうわけです。

では本書で取り扱う「音楽」とは一体何なのかというと、著者はそれが当然のように書いているので(というか書いてないので)2、私の解釈した定義になりますが、過去数千年の人類文化が積み重ねてきた聴覚芸術とその周辺文化全体を指しています。一言でいえば、いわゆるクラシック音楽、オーケストラ音楽が中心となります。 かといって、交響曲弦楽四重奏曲のようないわゆるオーケストラ音楽だけ扱うわけでもなく、むしろ人類が何もないところから、どうやって現代に続く構成的で複雑な音楽を作り上げていったか、という歴史的な経緯が解説されます。

本書は、古今東西の代表的な音楽文化に触れていきますので、ページ数の割に情報量は多いです。教科書のような歴史的網羅を役割とした本ではないので、各論の記述はだいぶ端折ってます。端折りすぎてレチタティーボみたいな専門用語3が何の説明もなく登場したりするわけです。「入門」であっても「初心者向け」ではない。いわば「(ガチな)音楽(文化史への)入門」といったところでしょう。

イメージ的にはこんな感じ。お、おう。

なので、本書を読んだからといって音楽がわかるようになるかと言えば4、そんなことは期待しないほうがよいです。 ある程度、最低限の前提知識やそれなりの曲数を聴き込んだ蓄積がないと、著者の言わんとするところはイメージしにくいでしょう。できれば演奏経験か作曲経験があると尚良し。

それを踏まえて読むならば、評価として★5個つけても足りないくらいの名著になります。

本書目次

  • はしがき
  • 第一章 音楽はどのようにして生まれたか
  • 第二章 音楽と連想
  • 第三章 音楽の素材と表現
  • 第四章 音楽は音楽以外の何ものも表現しない
  • 第五章 音楽における条件反射
  • 第六章 純粋音楽と効用音楽
  • 第七章 音楽における形式
  • 第八章 音楽観の歴史
  • 第九章 現代音楽における諸潮流
  • 第十章 現代生活と音楽
  • 第十一章 音楽における民族性
  • あとがき
  • 一九八五年改訂版(現代文化振興会)の叙
  • 二〇〇三年新装版(全音楽譜出版)の跋
  • インタビュー(一九七五年)
  • 解説 鷺巣詩郎

以下、引用文の「ロケーション」は、Kindle版でのページ番号です。

音楽の歴史をざっと振り返る

で、そんな本をなるべく分かりやすくまとめてみたいというのが本記事の主旨。

いうまでもなく、音楽がリズム(律動)、メロディ(旋律)、ハーモニー(和音)の3要素から構成されていることは、現代では常識といってよい前提条件でしょう。 これから3要素それぞれを紹介していきますが、そのような内容を知らなければ音楽を聞い(ていると公言し)てはいけないかというと、もちろんそんなことはありません。

ただ一般に言われる音楽の3つの要素である律動、旋律、和音が決して同人、意識されたものでもなく、これら要素が、現在、私たちが完璧な、またはさらに複雑化された交響曲などを聴く場合に、それぞれ、人々の心の中のどのような要素に強く働きかけるものであるかを知っていただけばよいのです。
第2章:ロケーション276

まずは音楽の成り立ちをたどります。歴史を振り返りつつ、この3要素も合わせて見ていきます。

古代

最も初期の音楽は、いわずもがな声音。 個人的に意外だったのですが、著者はここを重要視しています。その理由がこちら。

私たちが、いわゆる、音楽と読んでいるものの基礎的な萌芽が、ものを話しかける際の言葉の抑揚といったものから発生したものか、それとも言葉とは関係なく別個に音楽の意識が生まれたものかは、議論のあるところです。
第1章:ロケーション123

つまり、音楽が感情や自然の何かを表現したものであるか、または、自然とはまったく関係ない単独のものであるか、という二論があるのです。 興味深いところではありますが正直どっちでもよい、と思っていたのですが、これが後々、現代まで利いてくる議論に繋がっているようです。

二つの高さの違った音や、二つの異なった旋律が同時に重なり合うことを、未だ音楽的とは考えなかったのでした。
第2章:ロケーション228

もう1つ重要なことが、こちら。 人類最古の声による歌がどんなメロディだったかは知る由もありませんが、上記のとおり声によるものであったため、いずれにせよ単音でした。つまり、ハモリもベースもなし。

初期の人類は、ハモリの存在に気づかないわけではなく、ハモリを音楽的に美しいと思う感情・思考・文化がなかったのです。複数人で歌うなら、全員が同じ音を歌う(ユニゾン)。 繊細な微調整を必要とするハモリよりも、まずは全員が同じ歌を歌うことで、集団内で結束を固め意思疎通をはかるために統一的な共通文化を構築することが重要だったのかもしれません。このへんのことは、『サピエンス全史』でいう虚構とも密接に関わっていると思われます。

ちなみに、現代でも、ユニゾンは強力なエネルギーを伝える効果をもつ表現手法であり、ここぞというフレーズで多用されています。

リズム(律動)

では、音楽の3要素を見ていきます。最初は、リズム。 リズムが、音楽の中で最も原始的な感覚であり、心を打つ根源でもある、という話。

原始民族の間にあっては、音楽は常に詩と踊りと共に不可分の一体をなしていて、私たちの考えによって人為的に抽出する場合にのみ音楽という言葉が成り立ち得るにとどまります。 (中略) 音楽がこのように、決して単独に行われることがなく、常に、詩や踊りと結合した形で行われるということは、音楽の立場からのみ見るときは、次のようなことを意味します。 すなわち、音楽を構成している三つの要素のうち、律動の面が最も強調され、いわば、その一要素のみが利用されているということです。
第1章:ロケーション142

原始民族にあっては、音楽といっても要素としてリズムが最も大きな役割を果たしていたわけです。著者のいう「筋肉的な反応」を引き起こすのもリズム、幼児が最初に認識する音響もリズム、というわけです。

このように、私たちは音楽を受け取る場合、最初に律動に打たれますが、このことは、音楽にあっても、最も本質的なものは律動であるということを立証しているとみることができます。
第1章:ロケーション185

歌を忘れる時(忘れかけた歌を思い出すとき)を考えてみましょう。 まず最初に歌詞を忘れますね。次にメロディを忘れる。最後まで残るのはリズム。「この律動をも忘れたのでは完全な忘却というもの」( 第1章:ロケーション197)だそうです。まぁ共感できる説明ですね。 で、著者がいうには、この「最後まで残る」ことこそ、このことがリズムが最も根源的な力をもつ要素であることの証である、と。まぁ同意はするけど、そうとも言えるくらいな気もします。

そういえば『のだめカンタービレ』でも、音楽に絶望した主人公が再び音楽への意欲を取り戻したきっかけは、打楽器でしたね。テルミンではなかった…はず。

のだめカンタービレ in ヨーロッパ [DVD]

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同時に著者は、リズムを強調した音楽が、(たとえば美しいメロディをもつ音楽と比較して)低級なものとして扱われることを懸念しています。
そんなことはないと今は私も思いますが、実際そのように感じている人がいることも知っていますので(私もそうでした)、著者の懸念もわかるというもの。「打楽器なんて叩くだけだから簡単だろう」とか思ったこと、ありませんか?

そんなアナタに打楽器へのリスペクトを植え付けるべく、こちらの動画を紹介してリズムの説明はおしまい。


おわかり頂けただろうか。4:40で彼らが目隠ししていることに。。。

メロディ(旋律)

リズムが筋肉なら、メロディは感情や情緒といったところに働きかける要素となります。

もし個人的な年代についていいますならば、旋律の美しさを意識するのは、抒情に目覚める年齢であるということができるのです。 このことは古くギリシャプラトンアリストテレスの時代から知られておりました。これらの哲人は旋法・旋律の種類が、逆に、人間の心情に大きな影響力をもっていたことを洞察しまして、青年たちに与えてよい音楽の種類を、法律をもって定めたのです。こうして、一度決定された旋律は、変化を与えることが許されず、かたく禁じられ、それは普遍神聖な模範法式であるとさえ考えられnomoiと呼んだのです。
第2章:ロケーション242

なんと…
プラトンけっこう好きだったのに、幻滅だわー…

美しいメロディが本格的に意識されるようになるには、18世紀頃まで待たなければなりません。

ハーモニー(和音) / 中世

次は和音。

2つ以上の音を重ねて、ハモりを楽しむというスタイルは、9世紀頃に生まれました。それまでは、上に書いたように、単音の音楽しかありませんでした。

ちなみに、9世紀がどんな時代かというと、ローマ帝国で隆盛を極めた文化がヨーロッパから次第に失われ、代わりにイスラム世界で存続・発展していった時代です。イスラム世界とフランク王国カロリング朝ルネサンス を中心に、あらゆる知識がラテン語に翻訳されていったことは特筆するべき発展でしょう。

しかし、本書では残念ながら、イスラム世界の音楽についてほとんど触れられていませんので(面白いと思うんですけどね)、地域文化と音楽との関係は分かりません。
イスラムの音楽の例

この多音音楽の影響は期限に関する歴史は極めて曖昧なものではありますが、この種の音楽は、立派な単音音楽をもっていたギリシャ、ラテンの伝統の感化を蒙らなかった国ー地中海沿岸から離れていた国ーから発生したことは、ほぼ確実です。すなわち、英国がその発祥地の栄誉を負うことになるのです。
第2章:ロケーション259

イギリスは、常に音楽も文化も政治も世界の先駆けとして君臨する、事実上の世界の首都であるという説があります。ビートルズしかり、産業革命しかり、ブレグジットしかり。 でもまさかハモリまでイギリス発祥とは知りませんでした。


9世紀のイギリスって、ヴァイキングの時代ですよね…なぜハモリ?

さて、複数音というからには2音では済まないわけで、多重斉唱などが生まれ、グレゴリアン聖歌などの宗教的な音楽に発展していきました。特に王族貴族など上流社会においては、キリスト教会によって音楽は宗教のためのものとして進化を続け、ついには宗教そのものに変貌していきました(たとえばミサ曲など)。 このあたりのメロディも、前述のように「決定された旋律」であるため、現代人の感覚では単調に聴こえてしまうかもしれません。

この時代の音楽は、すべてのパートがメロディのような役割を果たします。ポリフォニーです。後述するバッハなんかも、ポリフォニー的な音楽を多く残しています。

その後、メロディの美しさを求めるようになると、パート間で役割の大きさに変化がつくようになります。一言でいえば、「メロディ+伴奏」という現代人ならお馴染みのスタイルが生まれるわけです。これは、ポリフォニーからモノフォニーへの移行という面もあります。
著者はこれを「君主専制の音楽」と呼んでいますが、複数(ポリ)のメロディが同時並行的に有機的に結びつくのではなく、1つ(モノ)の主メロディが王様で、伴奏が家来というわけです。

ここはイメージしやすいので、動画はなし。

しかし、とにかく、2つ以上の異なった音を組み合わせることに、音楽的な喜びを見出しはじめたことは極めて重要な事柄です。
この和音感は、人間の思索と関連の最も深いものであって、思索を必要とする宗教楽から生まれ、また個人についてみましても、思索をする年代に入ってはじめて和音の美を意識するものなのです。
第2章:ロケーション275

また、

このように2個以上の音を組み合わせることができるようになって初めて、音楽は芸術としてどのような立場を取るべきか、というふうな問題が起こり得るのです。印象主義にしろ、機械主義、その他のあらゆる音楽上の主義主張は、これらの手法の発見から発生するのです。
第8章:ロケーション923

一方、民衆の生活のための世俗音楽(たとえば農作業や村祭の音楽など)も草の根的に発展しましたが、伝承はともかく記録に残っているものはほとんどありません。

ルネサンス / 15-16世紀

ルネサンスは、音楽に関しては、まったく関係も影響もなかったと言ってよい時代。

音楽だけは、この新しい芸術衝動に適応するものは、何一つとして見出すことができなかったのです。この時代の精神、いわば、知的な好奇心と生命に対する讃仰は、音楽に対しては、何の効果も生まなかったのでした。他の芸術にあって決定的な影響となった古代芸術への崇拝も、音楽にあっては、古代ギリシャおよびローマの音楽は未だ解読もせられずにあったので、全くなす術もなかったのです。いわばこの文芸復興の精神は、音楽的な新しい開花には、力を借さなかったといえるのです。
(中略)
音楽にはルネッサンスはなかったといい得るのです。
第8章:ロケーション1092

道理で、これまでルネッサンスの音楽を調べても一向に出てこなかったわけです。

バロック / 16-17世紀

ここで音楽の歴史としては、中世が終ります。 ようやく知ってる名前が出てきます。最初はヘンデルとバッハ。ふたりとも1685年ドイツ生まれです。分類上はバロック音楽。貴族に使える職業音楽家です。

ヘンデルは、合唱やオペラなど劇場向け音楽が得意。

バッハは完璧超人。前述の教会音楽と世俗音楽の両面で、常識では考えられない数の作品を残し、そのどれもが素晴らしすぎるクオリティだったのです。つまりそれまでの(中世ヨーロッパの)音楽をまとめて、その後の近代音楽の基礎を作り上げたのです。「音楽の父」という二つ名を音楽の授業で聞いたことがあるかもしれませんが、こうした経歴を知ると頷けるところです。というか、学校でそう教えないと、「音楽の父」だけ言われたって分かるわけねーだろが! 12音それぞれを網羅して組曲を作るとか、ある意味サイコパス(褒め言葉)。頭おかしい。髪型もおかしい。

古典派 / 18世紀

その後、18世紀になると、古典派、ウィーン楽派などが出てきて、メロディが美しい音楽、生活のためではない芸術としての音楽の登場となります。モーツァルトベートーヴェンなんかが代表。


悲愴は、個人的にはベートーヴェンで最も美しい旋律。

ここでは三部形式が確立したことが、歴史的に大きい意義を持ちます。 わかりやすいところでは「急-緩-急」とかです。キーワードは「シンメトリー」。

ロマン派 / 19世紀

19世紀は、ロマン派。ロマンチックな音楽が増えます。

代表的な作曲家は、ショパン、リスト、メンデルスゾーンワーグナーブラームスなど。


リストは、ピアニストでアイドルで大スター。ファンの女性が失神したとか。宗教曲とか書いてるくせに。


個人的にクラシック音楽の作曲家の中で、ブラームスが一番好き。超カッコイイ。

フランスの作曲家がスペイン旅行したとき、テンションが上がってしまって作った曲。

ロマン派後期には、近代への新しい表現への萌芽も見られ始めます。

たとえば、国民楽派。民族志向の音楽が再興します。ドヴォルザークバルトーク、ムソグルスキー、チャイコフスキーリムスキー=コルサコフなど。 音楽とは!みたいな全世界的なメッセージではなく、作曲家自身の故郷や民族のための音楽です。

チェコのゆるやかなヴルタヴァ川の流れを表現

そしてまた、ちょうど、後期印象派の絵画の持つ平面的、装飾的画法が、近代ポスターという新しい部門に、現在、大きな影響を示したのと同様に、印象派の装飾的音楽のスタイルは現在、映画音楽の中にその最大の力を持つのです。
第9章:ロケーション1360

ロートレックのポスター
ロートレックのポスター


マーラー『千人の交響曲』。実際は1,000人いないけど、多すぎ。

映画音楽に多数の曲を提供した著者は、ここの系譜にあるとも言えます。

近代

近代に入り音楽は、何(What)を表現するか、から、どう(How)表現するか、へ移行します。 つまり楽曲の音楽性そのものよりも、いかにテクニカルな追求ができるか、に変わる。

代表的な作曲家は、ドビュッシーラヴェル

ここが絵画で言うところの印象派革命に相当します。 何を描くかは重要ではなく、風景画でもカフェやダンスホールなど日常シーンでも、色彩豊かな光の表現で魅せるグループです。

この時代、音楽についても似たような表現手法が開発されていきました。 十二音技法や、無調音楽などいろいろありますが、ここでは深入りしません。

現代音楽

著者は、ここにカテゴライズされることもあるようです。弟子が芥川也寸志黛敏郎とか大御所レベルがハンパない。 現代音楽は難解なものが多いのですが、わかりやすい例を挙げるなら、スティーブ・ライヒとかどうでしょう。

ライヒは作業用BGMにもオススメ。でも演奏者はだいぶツラそう。

著者がいうには「ここで、民衆と音楽家の両方が楽しめる音楽は終わる。 このあとは、それぞれの世界に分かれる。」

つまり、高尚というか専門家的な方向の音楽はますます難解になっていき、一方の大衆的な音楽は黒人霊歌をベースにジャズ、ロック、ポップスなどいわゆる流行歌に発展していきます。

個人的には、「どう表現するか」を突き詰めていく過程で、オーケストラの現代音楽やテクノが生まれていったと考えています。もちろんポップスやロックは現代でも大人気ですが、愛や青春や悲哀を歌うのは「何を」の表現ですね。ジャズは両方かな

コンピュータ音楽、シンセサイザーについてはこの講座がわかりやすい

現代に入って最も変わったことは、音楽を聞く姿勢。音楽が大衆商業的な側面を持つことによって、望まない音が耳に入るようになります。ラジオやテレビの放送が始まったことも無関係ではないでしょう。

今までは、常にそれらしき雰囲気の中で演奏されたのです。少なくとも、聴衆は何らかの音楽を聴こうという心構えをもって演奏に接したのでした。その音は、常に音楽を望んでいる耳に入ったのです。しかし、 (中略) すなわち、現代では音楽とは、何らの精神的準備のないところに、突然現れるのが、極めて普通なこととなったのです。私たちの耳は、目における瞼(まぶた)に相当するものをもたないので、これらの音楽を単に騒音として聞き流さざるを得ないことになるのです。 第10章:ロケーション1656

そんな状況でわざわざ音楽を聴くからには、何か意義ある鑑賞にしようという意志が働くのは、自然といえば自然な感情です。ところがそこに、音楽を楽しむことを阻害する罠が隠れていたりするのですが、それは次回の後編で。

まとめ

音楽の歴史なんてそれこそ専門家による素晴らしく詳しく分かりやすい書籍が多数出版されているので、わざわざ私が書く意味なんてあまりないのですが、それでも書きたかったから書きました。
時代や地域によって様々で、本当はもっといろいろ書かないといけないのですが、入門者用にざっと振り返ることがコンセプトなので、ものすごく省略しました(それでも1万字超え…)。気になったところは各自調べてください。

今回は歴史を振り返るだけでしたが、本書『音楽入門』の本当の価値はこれではなく、音楽と人間のもっと深いところに対する考察です。次回、そこらへんをご紹介します。

貼ったYouTubeリンクは、だいぶ個人的な好みに偏ってますのであしからず。好きなものを聴けばよいと思います。

最後に、日本の国歌で締めておわり。

参考


  1. 同じ音形を繰り返し用いて音楽をつくるスタイルの作曲技法。このジャンルの有名どころは、スティーブ・ライヒ久石譲など。『ゴジラのテーマ』なんて、同じ音形の繰り返しで作られていることが分かりやすいですね。

  2. 一応著者は、音楽の定義について触れていますが、そもそも定義することに「鑑賞という立場からはあまり大きな意義が見出すことができない」(第1章)と述べています。

  3. 少なくとも本書の読者は、その程度の音楽知識を一般常識として持っていることを最低条件として求められています。明記されてませんが。「第九」を聴いたことがあれば知ってますよね!

  4. そもそも「音楽がわかるってなによ?」という問題がまず立ちはだかる。