木牛流馬が動かない

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書評『17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義』(1/2) / 松岡正剛

ワクワクする世の中の秘密、教えます。世界の文化・宗教・思想をクロニクルにまとめ、日本とのつながりを明らかにする。流れるようにドンドン読める人間と文化の教科書!

Amazon内容紹介より

冒頭から私事で恐縮ですが、私は工学系の出身のため、これまで社会学や人間文化などいわゆる人文科学系についてしっかりと学ぶ機会はありませんでした。 しかし、人並み程度には興味もあるので、さわりだけでも学びたいと常々考えていました。 そもそもこのブログを始めた理由の1つに、この方面の知識をまとめたいという意図があります。

先日読んだ『サピエンス全史』は非常に面白かったのですが、どちらかといえば「歴史」に重点が置かれていました。 じゅうぶんすぎるくらいお腹いっぱいな本でしたが、「文化」を知るために人間の内面に踏み込むという点では、イマイチ物足りないものがあったのも事実。

そこで、本書。 著者が大阪の帝塚山学院大学・人間文化学部の学生に対して行った、全5回の講義を書籍にまとめたものです。

「人間文化」とはどういうものか、その歴史と現在について話します。

というわけで私が求めていた趣旨にピッタリな予感がヒシヒシと感じられましたので、読んでみることにしました。

17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義

17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義

17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義 松岡正剛

★★★★☆

目次

  • 第一講 人間と文化の大事な関係
  • 第二講 物語の仕組み・宗教のしくみ
  • 第三講 キリスト教の神の謎
  • 第四講 日本について考えてみよう
  • 第五講 ヨーロッパと日本をつなげる
  • おわりに

人間と文化

著者は「人間文化」を学ぶ上でまず大事なこととして、以下の2つを挙げます。

ひとつは世界と日本を歴史観を持って見ること、もうひとつは社会と文化はどのように成立しているのかをよく知ることです。この二つです。この講義では、この両方を学ぶことを「人間文化を学ぶ」というふうによぶことにします。

本書 第一講より

2つ目の「社会と文化の成立」から軽く解説。 本書では、人間と文化を中心に据え、「宗教」と「世界と日本」をテーマに 歴史を紐解いていきます。

宗教と一口に言っても、その発生を辿ろうとすると、人間の文化と密接に絡み合います。語り部による「物語」の口承から始まり、古代の神話、英雄伝説ゾロアスター教ジャイナ教ユダヤ教キリスト教、仏教、老子孔子荘子、哲学、数学と多岐に渡ります。

もう一方の「歴史観」とは、どのように歴史上の事実を解釈するか、というアプローチ。 その解説をする前に、まずは著者の紹介と、現代で最も重要な要素である「情報」と「関係」について知る必要があります。

編集工学と情報

というわけで、著者について軽く紹介。 一般的なプロフィールは各自Wikiってもらうとして、彼の肩書きのうち最も注目すべきは「編集工学研究所所長」。

「編集工学」とは、著者が提唱したあたらしい学問です(編集工学研究所設立は昭和62年)。 「人間の知覚や思考や表現のすべてにかかわっているくらいに、広くて深い」学問だそうです。 事実、編集工学の扱う対象は、料理、研究開発、プロジェクト構築&管理、作曲、ダンス、スポーツのゲームメイキング、小説執筆などなど、多岐にわたります。 これらに共通するのは、人と人の関係が生まれるということ。

編集工学の目的は、これらの物事に対して「新しい関係性を発見してい」き、さらに「そこに工学的にセンスやスキルを加える」こと。そして、そのための方法論を構築すること。

はい、よく分かりませんね。 すくなくとも私は分かりませんでした。

そのため、編集工学で取り扱う対象そのものである「情報」についても考える必要があります。

では、編集工学をつかって何を新しく関係づけるのかというと、さまざまな人間文化の成果を関係づけたいのです。 (中略) そして、このような人間文化がばらばらに発するすべてのメッセージのことをすべて、今日の時代に言葉で「情報」と呼ぶことにしています。

本書 第一講より

著者によれば「情報」には二種類あります。 インフォメーションとインテリジェンス。

インフォメーション(information)とは「世の中のすべての外的情報」のことで、インテリジェンス(inteligence)とは「私達の感覚や知覚にまつわる内的情報」です。

ふむ。

そして、それらの「情報」をどのように扱うかということを考えた時、重要な作業が「区切る」ということ。 「区別できていないものは、漠然として情報にならない」からです。 これは勉強でも仕事でも、いや全ての物事に対して、誰もが経験していることなので実感としてわかると思います。

もっと言うと、情報をどうやって区切ったかということによって、そのから読み取れる「意味」が変わってくるのです。それができれば、その次に、その区別した情報を、新たな視点でつないでいくことができます。見方をさまざまに組み替えていくことができる。 そうすると、そこに新しい関係が発見されるのです。私がやっている「編集工学」は、そういう仕組みを奥深く分け入って研究することなんです。

本書 第一講より

そういえば今気づきましたが、その区別できた状態のことを「分かる」と呼びますね。分けることができた、という意味だったんですね。

長くなりましたが、本書ではこの編集工学を用いて、人間と文化の歴史を紐解いていこう、という講義になります。

文化の距離

情報について、もう少し掘り下げます。

指折りで数字を数える時、「広げた指を親指から閉じていって「いち、に、さん、し」と数えます。ところがアメリカでは逆に最初の全部の指を折って、親指から順に広げながら」数えます。 同じ数字なのに、表現が違うのです。

あるいは、有名な「ここではきものをぬいでください」も、日本人同士であっても、「着物」か「履き物」か、文脈によって意味が変わります。

ドアをノックする回数も、日本はゆっくり2回、アメリカはすばやく5~6回。その意図はまったく同じ。

このように、ある情報に触れた時、その人のもつ文化的背景によってその意味が変わることがあります。 これらは、事前にどのような知識をどれだけ持っているかの違いとも言えますが、その知識を埋めれば差がなくなるかというとそう簡単な話ではありません。

民族によって、国によって、誰から教わるわけでもないのに、それぞれの文化感覚距離というものをもっている。

本書 第一講より

何を「普通」と思うかの違い、つまり「文化」そのもの。これを認識することが必要、ということです。 この違いを本書では「文化感覚距離(プロクセミックス)」と呼んでいます。 この文化感覚距離が「わからないかぎり、人間の文化を理解することはできない」のだそうです。ひぃ。

そして、これを理解するために、世界各地にどのような文化があり、それらがどうやって発生し、日本とどのように違うのかということを見ていくのが、この講義というわけです。ようやく繋がった。

私は、こういうことをとても面白いと思う人間なのですが、他の人がどうなのかは少し気になるところ。 歴史(特に人類史)に興味があり、がんばって『サピエンス全史』をまとめたのも、こうしたことが背景があったりします。

「人間文化とはコミュニケーションのことだ」

だそうです。 日本企業が新人に求めるコミュニケーション能力とは別モノです。

www.nikkei.com

中でも重要なのが言語。 抽象的な思考や感情や概念は、言語化しないと伝わらない。

私も言語化スキルを磨きたくてブログなんぞやっておるわけですが、そんなコミュニケーションについて著者から警告があります。

われわれは誰もが言葉を使えばコミュニケーションができると思っています。もちろんそれは大事です。しかし、身振りや動作やノックの仕方でもコミュニケーションはおこっている。いや、そういうところから文化は発生しているんですね。 ひょっとしたら、言葉によってできるコミュニケーションはごく限られたものにすぎないかもしれません。むしろコミュニケーションできないでいる感覚や気持ちや情報のほうがたくさんあるということに、最初に気がつくべきなのです。 言葉を使えばいつもちゃんとコミュニケーションできると思いすぎることは、じつはたいへん危険なことです。

本書 第一講より

これは私も常々思っていることです。

私の周りにも「考えていることは全て言語化できる」という人が何人かいます。 少なくともその人がそうなのであって万人に当てはまるとは言っていませんが、しかし、私はその主張をどうしても信じられません。

そういう人たちは言語化が得意であるというケースは、(私の経験上)多いです。 しかし、彼らが本当にすべて言語化できているかというと、本人がそう思っているだけということも多いんじゃないかと思います。 まぁ、よほどこういう話題になったときくらいしか、面と向かっては言いませんが。

長くなるのでこの話はまたいずれ。 なんにしろ言語化が重要なことは間違いありませんので、すくなくともそういう人たちと張り合えるくらいに私も言語化を上達したいと思う所存であります。

r-ijin.com 「話せば分かる」と言った直後に銃殺された人もいましたね。

歴史を追うこと

さてだいぶ端折ったり脱線したりしましたが、ここまでで講義を始める準備が終わりました。 一筋縄ではいかないことは理解してもらえたと思います。

この後は、具体的に歴史を追っていく講義になります。 詳しいところは次回にまわしたいと思いますが、ここではまず「人間」まではたどり着いておきましょう。

どういうことかというと、これまで見てきたように人間文化を理解するのは難しいのです。 じゃあどうやってそれを理解していくかというと、著者は、文化の発生からその歴史を振り返るアプローチをとります。

というわけで、最初は「生命」から。

「生命は情報である」

生命は、遺伝子に書き込まれた情報をもとに、アミノ酸やタンパク質などを合成・分解し、その活動を支えています。 また、その遺伝子情報をコピーすることで、次の世代へ生命を継承します。

この遺伝子情報がどこから来たかというと、諸説ありますが、私はパンスペルミア1推しです。 www.sotokoto.net

まぁ遺伝子情報の出自はともかく、こうした情報をやりくりする生命システムが半自動的にまわることで、我々の生命活動が行われているわけです。 本書ではもう少し詳しく書かれていますが、つまるところ「生命は情報のプログラムから生まれてきた」というのが本書の主張です。

本書に限らず、いろいろなところで言われていることですが、ここではそういう前提から始めます。

サルからヒトヘ

生命の次は、サルからヒトへの進化。 直立二足歩行、五指の発達などを辿って文化的意味を考察するわけですが、ここで最も重要な変化は、これらによって人間の目の高さが変わったことだそうです。

平行視ができるようになったことで、ヒトは「ここ」と「むこう」を理解するようになります。すなわち自分たちの生活にとって、何が「here=ここ」で何が「there=むこう」かを判断していくということになります。 (中略) 人間文化の歴史というのは、どこを「ヒア」と呼び、どこを「ゼア」と呼んだかということによって成立していきます。最初は自分たちのムラやクニが「ヒア」で、その外側の世界はすべて「ゼア」でした。やがて「ゼア』には現実にはない想像の世界のことも含まれるようになります。

本書 第一講より

かいつまんでいうと、「ここ」と「むこう」を区別できるようになったことで人間文化に「物語」が生まれたわけです。

もうお気づきかと思います。 そう、これは『サピエンス全史』でいうところの「虚構」の発生2です。

これは驚きました。 読む前からある程度接点があることは期待はしていましたが、ここまで直接的に繋がるとは予想してませんでした。 むしろ本書のほうが先ですけどね。

さて、ここから自己の発生、性欲のコントロール、言語の発生、大脳新皮質の発達と講義は続き、宗教の発生に辿り着きます。

人間文化史の一番最初に出てきたものが宗教で、その後に舞踊や哲学や建築が生まれ、四番目くらいに文芸が出てきますが、こういったものが出てくる背景には、つねに理性の脳がいかに本能の脳の暴走を抑えるか、どのように鎮めるかの闘いがあったと見ていいと思います。

本書 第一講より

文化と言っても、やはり脳科学的な分析や考古学による裏付けは必要。 本書は裏付けはそこまで厳密ではありませんが、ヒトの進化と文化の関連は詳しく考察しています。

まとめ

一応「人間」まで辿り着いたので、今回はここまでにしたいと思います。 次回は、各論として世界各地の文化を見ていきますが、あまりにも長くなるので、気になったところだけピックアップする予定。 やはり日本中心に見ていきたい。

17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義

17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義


  1. パンスペルミア説についてもう少し知りたい方は、城平京『ヴァンパイア十字界』をオススメします。しつこく推しますよ。ch.nicovideo.jp

  2. 虚構について知りたい方はこちら。euphoniumize-45th.hatenablog.com