木牛流馬は動かない

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音楽の歴史をざっと振り返る / 書評『音楽入門』(1/2)

『音楽入門』 伊福部昭

★★★★★

GWといえばラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン。 東京有楽町エリアを中心に毎年開催される、クラシック音楽の祭典です。 初回から(ほぼ)毎年通っている私ですが、今年は諸事情により参加できず。

www.lfj.jp

代わりと言ってはナンですが、音楽についての総括的な本を読みましたので、書評を兼ねて、ざっと音楽の歴史を振り返ってみたいと思います。ラ・フォル・ジュルネクラシック音楽に興味が湧いた人が、その勢いのまま読んで、どっぷりハマってくれるといいなぁ。

本書の著者と想定読者

著者は、現代の作曲家の大御所、伊福部昭氏。 1914(大正3)年生まれ、2006年に91歳で亡くなられています。 氏の名前は知らなくても、代表作は誰もが知っています。『ゴジラのテーマ』。 もちろん劇伴だけでなく、オーケストラやミニマル・ミュージック1など活躍は多岐に渡ります。

さて本書のタイトルの「音楽」ですが、ただ通勤通学中に適当に聴き流すようなポップスなんかは対象に含まれないと考えるほうがよさそうです。広義では含んでもよいでしょうが、著者の想定する「音楽」といま一般的に売れている(たとえばSpotifyでランクインするような)曲にギャップがありすぎるため、別物を指していると考えたほうが理解しやすいです。 ここ100年程度のいわゆるポップスは扱うには扱うとしても、人類の音楽史全体の歴史的、芸術的な重要度から考えると(というか著者がそのように考えた結果)、どうしても割合として微々たるものになってしまうわけです。

では本書で取り扱う「音楽」とは一体何なのかというと、著者はそれが当然のように書いているので(というか書いてないので)2、私の解釈した定義になりますが、過去数千年の人類文化が積み重ねてきた聴覚芸術とその周辺文化全体を指しています。一言でいえば、いわゆるクラシック音楽、オーケストラ音楽が中心となります。 かといって、交響曲弦楽四重奏曲のようないわゆるオーケストラ音楽だけ扱うわけでもなく、むしろ人類が何もないところから、どうやって現代に続く構成的で複雑な音楽を作り上げていったか、という歴史的な経緯が解説されます。

本書は、古今東西の代表的な音楽文化に触れていきますので、ページ数の割に情報量は多いです。教科書のような歴史的網羅を役割とした本ではないので、各論の記述はだいぶ端折ってます。端折りすぎてレチタティーボみたいな専門用語3が何の説明もなく登場したりするわけです。「入門」であっても「初心者向け」ではない。いわば「(ガチな)音楽(文化史への)入門」といったところでしょう。

イメージ的にはこんな感じ。お、おう。

なので、本書を読んだからといって音楽がわかるようになるかと言えば4、そんなことは期待しないほうがよいです。 ある程度、最低限の前提知識やそれなりの曲数を聴き込んだ蓄積がないと、著者の言わんとするところはイメージしにくいでしょう。できれば演奏経験か作曲経験があると尚良し。

それを踏まえて読むならば、評価として★5個つけても足りないくらいの名著になります。

本書目次

  • はしがき
  • 第一章 音楽はどのようにして生まれたか
  • 第二章 音楽と連想
  • 第三章 音楽の素材と表現
  • 第四章 音楽は音楽以外の何ものも表現しない
  • 第五章 音楽における条件反射
  • 第六章 純粋音楽と効用音楽
  • 第七章 音楽における形式
  • 第八章 音楽観の歴史
  • 第九章 現代音楽における諸潮流
  • 第十章 現代生活と音楽
  • 第十一章 音楽における民族性
  • あとがき
  • 一九八五年改訂版(現代文化振興会)の叙
  • 二〇〇三年新装版(全音楽譜出版)の跋
  • インタビュー(一九七五年)
  • 解説 鷺巣詩郎

以下、引用文の「ロケーション」は、Kindle版でのページ番号です。

音楽の歴史をざっと振り返る

で、そんな本をなるべく分かりやすくまとめてみたいというのが本記事の主旨。

いうまでもなく、音楽がリズム(律動)、メロディ(旋律)、ハーモニー(和音)の3要素から構成されていることは、現代では常識といってよい前提条件でしょう。 これから3要素それぞれを紹介していきますが、そのような内容を知らなければ音楽を聞い(ていると公言し)てはいけないかというと、もちろんそんなことはありません。

ただ一般に言われる音楽の3つの要素である律動、旋律、和音が決して同人、意識されたものでもなく、これら要素が、現在、私たちが完璧な、またはさらに複雑化された交響曲などを聴く場合に、それぞれ、人々の心の中のどのような要素に強く働きかけるものであるかを知っていただけばよいのです。
第2章:ロケーション276

まずは音楽の成り立ちをたどります。歴史を振り返りつつ、この3要素も合わせて見ていきます。

古代

最も初期の音楽は、いわずもがな声音。 個人的に意外だったのですが、著者はここを重要視しています。その理由がこちら。

私たちが、いわゆる、音楽と読んでいるものの基礎的な萌芽が、ものを話しかける際の言葉の抑揚といったものから発生したものか、それとも言葉とは関係なく別個に音楽の意識が生まれたものかは、議論のあるところです。
第1章:ロケーション123

つまり、音楽が感情や自然の何かを表現したものであるか、または、自然とはまったく関係ない単独のものであるか、という二論があるのです。 興味深いところではありますが正直どっちでもよい、と思っていたのですが、これが後々、現代まで利いてくる議論に繋がっているようです。

二つの高さの違った音や、二つの異なった旋律が同時に重なり合うことを、未だ音楽的とは考えなかったのでした。
第2章:ロケーション228

もう1つ重要なことが、こちら。 人類最古の声による歌がどんなメロディだったかは知る由もありませんが、上記のとおり声によるものであったため、いずれにせよ単音でした。つまり、ハモリもベースもなし。

初期の人類は、ハモリの存在に気づかないわけではなく、ハモリを音楽的に美しいと思う感情・思考・文化がなかったのです。複数人で歌うなら、全員が同じ音を歌う(ユニゾン)。 繊細な微調整を必要とするハモリよりも、まずは全員が同じ歌を歌うことで、集団内で結束を固め意思疎通をはかるために統一的な共通文化を構築することが重要だったのかもしれません。このへんのことは、『サピエンス全史』でいう虚構とも密接に関わっていると思われます。

ちなみに、現代でも、ユニゾンは強力なエネルギーを伝える効果をもつ表現手法であり、ここぞというフレーズで多用されています。

リズム(律動)

では、音楽の3要素を見ていきます。最初は、リズム。 リズムが、音楽の中で最も原始的な感覚であり、心を打つ根源でもある、という話。

原始民族の間にあっては、音楽は常に詩と踊りと共に不可分の一体をなしていて、私たちの考えによって人為的に抽出する場合にのみ音楽という言葉が成り立ち得るにとどまります。 (中略) 音楽がこのように、決して単独に行われることがなく、常に、詩や踊りと結合した形で行われるということは、音楽の立場からのみ見るときは、次のようなことを意味します。 すなわち、音楽を構成している三つの要素のうち、律動の面が最も強調され、いわば、その一要素のみが利用されているということです。
第1章:ロケーション142

原始民族にあっては、音楽といっても要素としてリズムが最も大きな役割を果たしていたわけです。著者のいう「筋肉的な反応」を引き起こすのもリズム、幼児が最初に認識する音響もリズム、というわけです。

このように、私たちは音楽を受け取る場合、最初に律動に打たれますが、このことは、音楽にあっても、最も本質的なものは律動であるということを立証しているとみることができます。
第1章:ロケーション185

歌を忘れる時(忘れかけた歌を思い出すとき)を考えてみましょう。 まず最初に歌詞を忘れますね。次にメロディを忘れる。最後まで残るのはリズム。「この律動をも忘れたのでは完全な忘却というもの」( 第1章:ロケーション197)だそうです。まぁ共感できる説明ですね。 で、著者がいうには、この「最後まで残る」ことこそ、このことがリズムが最も根源的な力をもつ要素であることの証である、と。まぁ同意はするけど、そうとも言えるくらいな気もします。

そういえば『のだめカンタービレ』でも、音楽に絶望した主人公が再び音楽への意欲を取り戻したきっかけは、打楽器でしたね。テルミンではなかった…はず。

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同時に著者は、リズムを強調した音楽が、(たとえば美しいメロディをもつ音楽と比較して)低級なものとして扱われることを懸念しています。
そんなことはないと今は私も思いますが、実際そのように感じている人がいることも知っていますので(私もそうでした)、著者の懸念もわかるというもの。「打楽器なんて叩くだけだから簡単だろう」とか思ったこと、ありませんか?

そんなアナタに打楽器へのリスペクトを植え付けるべく、こちらの動画を紹介してリズムの説明はおしまい。


おわかり頂けただろうか。4:40で彼らが目隠ししていることに。。。

メロディ(旋律)

リズムが筋肉なら、メロディは感情や情緒といったところに働きかける要素となります。

もし個人的な年代についていいますならば、旋律の美しさを意識するのは、抒情に目覚める年齢であるということができるのです。 このことは古くギリシャプラトンアリストテレスの時代から知られておりました。これらの哲人は旋法・旋律の種類が、逆に、人間の心情に大きな影響力をもっていたことを洞察しまして、青年たちに与えてよい音楽の種類を、法律をもって定めたのです。こうして、一度決定された旋律は、変化を与えることが許されず、かたく禁じられ、それは普遍神聖な模範法式であるとさえ考えられnomoiと呼んだのです。
第2章:ロケーション242

なんと…
プラトンけっこう好きだったのに、幻滅だわー…

美しいメロディが本格的に意識されるようになるには、18世紀頃まで待たなければなりません。

ハーモニー(和音) / 中世

次は和音。

2つ以上の音を重ねて、ハモりを楽しむというスタイルは、9世紀頃に生まれました。それまでは、上に書いたように、単音の音楽しかありませんでした。

ちなみに、9世紀がどんな時代かというと、ローマ帝国で隆盛を極めた文化がヨーロッパから次第に失われ、代わりにイスラム世界で存続・発展していった時代です。イスラム世界とフランク王国カロリング朝ルネサンス を中心に、あらゆる知識がラテン語に翻訳されていったことは特筆するべき発展でしょう。

しかし、本書では残念ながら、イスラム世界の音楽についてほとんど触れられていませんので(面白いと思うんですけどね)、地域文化と音楽との関係は分かりません。
イスラムの音楽の例

この多音音楽の影響は期限に関する歴史は極めて曖昧なものではありますが、この種の音楽は、立派な単音音楽をもっていたギリシャ、ラテンの伝統の感化を蒙らなかった国ー地中海沿岸から離れていた国ーから発生したことは、ほぼ確実です。すなわち、英国がその発祥地の栄誉を負うことになるのです。
第2章:ロケーション259

イギリスは、常に音楽も文化も政治も世界の先駆けとして君臨する、事実上の世界の首都であるという説があります。ビートルズしかり、産業革命しかり、ブレグジットしかり。 でもまさかハモリまでイギリス発祥とは知りませんでした。


9世紀のイギリスって、ヴァイキングの時代ですよね…なぜハモリ?

さて、複数音というからには2音では済まないわけで、多重斉唱などが生まれ、グレゴリアン聖歌などの宗教的な音楽に発展していきました。特に王族貴族など上流社会においては、キリスト教会によって音楽は宗教のためのものとして進化を続け、ついには宗教そのものに変貌していきました(たとえばミサ曲など)。 このあたりのメロディも、前述のように「決定された旋律」であるため、現代人の感覚では単調に聴こえてしまうかもしれません。

この時代の音楽は、すべてのパートがメロディのような役割を果たします。ポリフォニーです。後述するバッハなんかも、ポリフォニー的な音楽を多く残しています。

その後、メロディの美しさを求めるようになると、パート間で役割の大きさに変化がつくようになります。一言でいえば、「メロディ+伴奏」という現代人ならお馴染みのスタイルが生まれるわけです。これは、ポリフォニーからモノフォニーへの移行という面もあります。
著者はこれを「君主専制の音楽」と呼んでいますが、複数(ポリ)のメロディが同時並行的に有機的に結びつくのではなく、1つ(モノ)の主メロディが王様で、伴奏が家来というわけです。

ここはイメージしやすいので、動画はなし。

しかし、とにかく、2つ以上の異なった音を組み合わせることに、音楽的な喜びを見出しはじめたことは極めて重要な事柄です。
この和音感は、人間の思索と関連の最も深いものであって、思索を必要とする宗教楽から生まれ、また個人についてみましても、思索をする年代に入ってはじめて和音の美を意識するものなのです。
第2章:ロケーション275

また、

このように2個以上の音を組み合わせることができるようになって初めて、音楽は芸術としてどのような立場を取るべきか、というふうな問題が起こり得るのです。印象主義にしろ、機械主義、その他のあらゆる音楽上の主義主張は、これらの手法の発見から発生するのです。
第8章:ロケーション923

一方、民衆の生活のための世俗音楽(たとえば農作業や村祭の音楽など)も草の根的に発展しましたが、伝承はともかく記録に残っているものはほとんどありません。

ルネサンス / 15-16世紀

ルネサンスは、音楽に関しては、まったく関係も影響もなかったと言ってよい時代。

音楽だけは、この新しい芸術衝動に適応するものは、何一つとして見出すことができなかったのです。この時代の精神、いわば、知的な好奇心と生命に対する讃仰は、音楽に対しては、何の効果も生まなかったのでした。他の芸術にあって決定的な影響となった古代芸術への崇拝も、音楽にあっては、古代ギリシャおよびローマの音楽は未だ解読もせられずにあったので、全くなす術もなかったのです。いわばこの文芸復興の精神は、音楽的な新しい開花には、力を借さなかったといえるのです。
(中略)
音楽にはルネッサンスはなかったといい得るのです。
第8章:ロケーション1092

道理で、これまでルネッサンスの音楽を調べても一向に出てこなかったわけです。

バロック / 16-17世紀

ここで音楽の歴史としては、中世が終ります。 ようやく知ってる名前が出てきます。最初はヘンデルとバッハ。ふたりとも1685年ドイツ生まれです。分類上はバロック音楽。貴族に使える職業音楽家です。

ヘンデルは、合唱やオペラなど劇場向け音楽が得意。

バッハは完璧超人。前述の教会音楽と世俗音楽の両面で、常識では考えられない数の作品を残し、そのどれもが素晴らしすぎるクオリティだったのです。つまりそれまでの(中世ヨーロッパの)音楽をまとめて、その後の近代音楽の基礎を作り上げたのです。「音楽の父」という二つ名を音楽の授業で聞いたことがあるかもしれませんが、こうした経歴を知ると頷けるところです。というか、学校でそう教えないと、「音楽の父」だけ言われたって分かるわけねーだろが! 12音それぞれを網羅して組曲を作るとか、ある意味サイコパス(褒め言葉)。頭おかしい。髪型もおかしい。

古典派 / 18世紀

その後、18世紀になると、古典派、ウィーン楽派などが出てきて、メロディが美しい音楽、生活のためではない芸術としての音楽の登場となります。モーツァルトベートーヴェンなんかが代表。


悲愴は、個人的にはベートーヴェンで最も美しい旋律。

ここでは三部形式が確立したことが、歴史的に大きい意義を持ちます。 わかりやすいところでは「急-緩-急」とかです。キーワードは「シンメトリー」。

ロマン派 / 19世紀

19世紀は、ロマン派。ロマンチックな音楽が増えます。

代表的な作曲家は、ショパン、リスト、メンデルスゾーンワーグナーブラームスなど。


リストは、ピアニストでアイドルで大スター。ファンの女性が失神したとか。宗教曲とか書いてるくせに。


個人的にクラシック音楽の作曲家の中で、ブラームスが一番好き。超カッコイイ。

フランスの作曲家がスペイン旅行したとき、テンションが上がってしまって作った曲。

ロマン派後期には、近代への新しい表現への萌芽も見られ始めます。

たとえば、国民楽派。民族志向の音楽が再興します。ドヴォルザークバルトーク、ムソグルスキー、チャイコフスキーリムスキー=コルサコフなど。 音楽とは!みたいな全世界的なメッセージではなく、作曲家自身の故郷や民族のための音楽です。

チェコのゆるやかなヴルタヴァ川の流れを表現

そしてまた、ちょうど、後期印象派の絵画の持つ平面的、装飾的画法が、近代ポスターという新しい部門に、現在、大きな影響を示したのと同様に、印象派の装飾的音楽のスタイルは現在、映画音楽の中にその最大の力を持つのです。
第9章:ロケーション1360

ロートレックのポスター
ロートレックのポスター


マーラー『千人の交響曲』。実際は1,000人いないけど、多すぎ。

映画音楽に多数の曲を提供した著者は、ここの系譜にあるとも言えます。

近代

近代に入り音楽は、何(What)を表現するか、から、どう(How)表現するか、へ移行します。 つまり楽曲の音楽性そのものよりも、いかにテクニカルな追求ができるか、に変わる。

代表的な作曲家は、ドビュッシーラヴェル

ここが絵画で言うところの印象派革命に相当します。 何を描くかは重要ではなく、風景画でもカフェやダンスホールなど日常シーンでも、色彩豊かな光の表現で魅せるグループです。

この時代、音楽についても似たような表現手法が開発されていきました。 十二音技法や、無調音楽などいろいろありますが、ここでは深入りしません。

現代音楽

著者は、ここにカテゴライズされることもあるようです。弟子が芥川也寸志黛敏郎とか大御所レベルがハンパない。 現代音楽は難解なものが多いのですが、わかりやすい例を挙げるなら、スティーブ・ライヒとかどうでしょう。

ライヒは作業用BGMにもオススメ。でも演奏者はだいぶツラそう。

著者がいうには「ここで、民衆と音楽家の両方が楽しめる音楽は終わる。 このあとは、それぞれの世界に分かれる。」

つまり、高尚というか専門家的な方向の音楽はますます難解になっていき、一方の大衆的な音楽は黒人霊歌をベースにジャズ、ロック、ポップスなどいわゆる流行歌に発展していきます。

個人的には、「どう表現するか」を突き詰めていく過程で、オーケストラの現代音楽やテクノが生まれていったと考えています。もちろんポップスやロックは現代でも大人気ですが、愛や青春や悲哀を歌うのは「何を」の表現ですね。ジャズは両方かな

コンピュータ音楽、シンセサイザーについてはこの講座がわかりやすい

現代に入って最も変わったことは、音楽を聞く姿勢。音楽が大衆商業的な側面を持つことによって、望まない音が耳に入るようになります。ラジオやテレビの放送が始まったことも無関係ではないでしょう。

今までは、常にそれらしき雰囲気の中で演奏されたのです。少なくとも、聴衆は何らかの音楽を聴こうという心構えをもって演奏に接したのでした。その音は、常に音楽を望んでいる耳に入ったのです。しかし、 (中略) すなわち、現代では音楽とは、何らの精神的準備のないところに、突然現れるのが、極めて普通なこととなったのです。私たちの耳は、目における瞼(まぶた)に相当するものをもたないので、これらの音楽を単に騒音として聞き流さざるを得ないことになるのです。 第10章:ロケーション1656

そんな状況でわざわざ音楽を聴くからには、何か意義ある鑑賞にしようという意志が働くのは、自然といえば自然な感情です。ところがそこに、音楽を楽しむことを阻害する罠が隠れていたりするのですが、それは次回の後編で。

まとめ

音楽の歴史なんてそれこそ専門家による素晴らしく詳しく分かりやすい書籍が多数出版されているので、わざわざ私が書く意味なんてあまりないのですが、それでも書きたかったから書きました。
時代や地域によって様々で、本当はもっといろいろ書かないといけないのですが、入門者用にざっと振り返ることがコンセプトなので、ものすごく省略しました(それでも1万字超え…)。気になったところは各自調べてください。

今回は歴史を振り返るだけでしたが、本書『音楽入門』の本当の価値はこれではなく、音楽と人間のもっと深いところに対する考察です。次回、そこらへんをご紹介します。

貼ったYouTubeリンクは、だいぶ個人的な好みに偏ってますのであしからず。好きなものを聴けばよいと思います。

最後に、日本の国歌で締めておわり。

参考


  1. 同じ音形を繰り返し用いて音楽をつくるスタイルの作曲技法。このジャンルの有名どころは、スティーブ・ライヒ久石譲など。『ゴジラのテーマ』なんて、同じ音形の繰り返しで作られていることが分かりやすいですね。

  2. 一応著者は、音楽の定義について触れていますが、そもそも定義することに「鑑賞という立場からはあまり大きな意義が見出すことができない」(第1章)と述べています。

  3. 少なくとも本書の読者は、その程度の音楽知識を一般常識として持っていることを最低条件として求められています。明記されてませんが。「第九」を聴いたことがあれば知ってますよね!

  4. そもそも「音楽がわかるってなによ?」という問題がまず立ちはだかる。