1900年パリ万博を振り返る
きっかけ
ちょこちょこ興味あることを調べていると、1900年パリ万博に行き当たることが、何度かありまして。
まぁどんなもんかとちょっと調べてみたわけです。
時代背景
1900年とはどんな時代でしょうか? 日本では明治33年、中国は清朝。
ま、こんなときはWikipediaです。 興味あるところだけピックアップ。
- 凸版印刷創業
- 治安警察法公布・施行
- パリ万国博覧会開催
- 義和団の乱
- 清が日本など8か国に宣戦布告、連合軍が北京総攻撃開始、翌日陥落
- 夏目漱石が大日本帝国文部省留学生として英国に留学
- ジークムント・フロイトの『夢判断』が出版される
- 第4次伊藤博文内閣成立
- 米国大統領選挙でマッキンリーが再選
- 三笠 (戦艦)進水式
- マックス・プランクがプランクの法則と共にエネルギーの量子化に関する概念(エネルギー量子仮説)を提唱
- 新渡戸稲造 「武士道」
- 内村鑑三「聖書之研究」
- エドムント・フッサール「論理学研究」
https://ja.wikipedia.org/wiki/1900%E5%B9%B4
ふむふむ。近代の始まりといった感じですね。
パリ万国博覧会とは?
で、本題。 どんな会かというと、
19世紀最後の年(世紀末)を飾る国際博覧会であるが新世紀の幕開けを祝う意味も込められており、開催期間中には過去最大となるおよそ4800万人が訪れている。また、パリオリンピック(第2回近代オリンピック)に合わせての開催でもあった。
(中略)
会場の一つであるグラン・パレでは、今回の万博の企画展として『フランス美術100年展』が開催され、新古典主義から印象派までの19世紀のフランス美術を代表する約3000点の作品(絵画・彫刻など)が展示された。 今回の万博のテーマは「過去を振り返り20世紀を展望する」ことであり、それに合わせた展示物も数多く出品されている。
- Wikipedia
なんと、こんなキレッキレなイベントだったとは。。 動員数もオリンピックと同時開催もさることながら、なによりコンセプト(テーマ)が良い。すごく行ってみたい。 西暦2000年のときに、こんなイベントなかった(気がする)。
一般的な開催概要はこちら。
1900年第5回パリ万博 19世紀最大の万博 名称:Exposition Universelle 開催期間:1900年4月15日~11月12日 場所:パリ(シャン・ド・マルス、トロカデロ、アンヴァリッド、シャンゼリゼ、セーヌ川両岸) 入場者数:5,086万1,000人 - 国立国会図書館
200日以上開催って。。。 単純計算で、毎日23万人以上が訪れていたことになります。 前回のコミケ(2018夏、C94)参加者が3日間でのべ53万人(平均17.7万人/日)なので、それ以上の人数が半年以上毎日詰めかけていたことになります。ちなみに当時のフランスの人口は、3500万人。ヒエッ。
これだけでも、パリ市というか担当者さんの心労が伺えるというものです。
Wikipediaには他にも、日本に関する記述がありました。 パリ万国博覧会 (1900年) - Wikipedia
日本から出展したのは、大橋翠石『猛虎の図』や川上音次郎『オッペケペー節』、芸者、法隆寺など。 このあたりを見ると欧州における日本のイメージが定着したイベントだったのかもしれませんね。オッペケペー。
深川製磁は陶磁器を「フカガワポースレイン」として出展し、メダーユドールを獲得している。
佐賀・有田の名匠・深川忠次が率いる磁器制作の窯元、深川製磁が出展しています。 最近は首都圏のデパートなんかにも1コーナー設けてあったりするので、見かけたことのある方も多いと思います。
その時の出展作品(深川製磁HPより)
個人的にここの磁器が大好きでして、数年おきに5月の有田陶器市に通ったり、窯元に行ってアウトレット品を購入して日常的に使っていたりします。 最高級品は皇室に献上されたりするレベルですが、庶民向け商品やアウトレット品も1000円程度から販売しているのです。 私も(もちろん安物を)愛用しており、つまり、これが今回パリ万博を調べるきっかけの1つというわけです。
パリ万博をきっかけに、ここから近代欧州におけるジャポニズムが始まります。 ただ1900年ではなく、実はその前に、1867年のパリ万博に薩摩藩と佐賀藩が出展しているもようなので、そこからですね。
明治期の深川製磁の作品には、ある種の共通な美観があります。 その大きな特徴は、欧州人のためにデザインされた日本美の追及に あります。いいかえれば、当時の日本にもたらしたモダニズムともいえると 思います。明治の深川製磁が、各国の日本大使館や皇族に珍重され てきたこともそのプリミティブなデザインとしてではなくむしろインターナショナルな 華を具えていたからだと考えています。 - 深川製磁アーカイブ
日本美術といえば、室町時代に始まった侘び寂びと、一方で公家や豪商の好む華美な様式とがあります(もちろん他にもあります)。
後者はたとえば琳派が近い様式です。私は個人的に、ここが現代のクールジャパン、マンガやアニメのようなデフォルメされたイラストにつながっていく様式であると考えています。 まぁそのあたりは専門家がいらっしゃるでしょうから、私がどうこういうことではないのですが。
ただ↑の磁器を見て、若干その方向に寄せている感があるなぁ、と思ったのです。「欧州のためにデザインされた日本美」に通じるところがありそう。
パリ万博 出展作品
他にこんな出展があったようです。 日本語版Wikipediaには、ほとんど情報がなかったので、英語版Wikipediaから適当に抜粋。
- トーキー(映像と音声が同期した映画)
- エスカレーター
- キャンベルスープ (あの缶のデザインが評価される)
- ディーゼルエンジンと植物油
- 直径1.25メートル・全長57メートルの巨大天体望遠鏡
- テレグラフォン (磁気による音声テープレコーダー)
Exposition Universelle (1900) - Wikipedia
なかなか楽しげですね。 エスカレーターを初めて見たら、階段を動かしちゃったとかギャグとしか思えないかもしれません。 私なら笑いそう。
もうすこし時代背景
国会図書館へ。 1900年第5回パリ万博 | 第1部 1900年までに開催された博覧会 | 博覧会―近代技術の展示場
ドイツやアメリカが重工業部門によって目覚ましい発展をとげていた1890年代、フランス共和国政府の関心はテクノロジーから高級な手工芸・装飾芸術へと方向転換した。国際競争においてフランスの優位を実現できるような万博を開催し、フランス本来の特質とされる洗練された優美さを武器にファッションや織物、装飾品、家具の分野を推進しようという考えだったのである。そして、これが後のアール・ヌーヴォーの興隆に繋がっていった。
ちゃんと自国の魅力と武器をわかっていて、進むべき道筋を見つけ、そのためにこれだけのイベントを開催する、フランスの政治力に脱帽です。
イギリス産業革命がドイツに伝播したのが1840年台。そこから50年経てば、ちょうどドイツの産業革命(による恩恵)も最高潮といったところでしょうか。
たとえば、ドイツのマイセンを中心とする磁器産業は、20世紀初頭に全盛期を迎えます。磁器は、ガラスやセラミックに近い素材であり、陶器よりも高い温度で焼成する必要があります。つまり、テクノロジーの発展による量産技術が必要なわけです(もちろん豊富な資源やビジネス環境も必要です)。 20世紀初頭のドイツでは、磁器を芸術の域に高める一方で、それまで高級品であった磁器を日常用途に使えるまで大衆に普及させ、ドイツの輸出産業の一方の雄として認知されるまでになりました。
アメリカは移民が増えた時期だったということもあり、労働力には困らなかったようです。
1890年、初めてアメリカの工業生産高が農業生産高を上回り、アメリカの工業は急成長時代を迎えます。20世紀初頭には、フォード・モデルTにより内燃機関の大量生産が始まり、アメリカは世界の工業生産の3分の1以上を占めるまでになります。 ちなみに、大恐慌は1930年台。
パリ万博(芸術方面)
脱線しすぎました。パリ万博ですね。
他国が工業に熱を上げている中、オシャレさんのフランスは「まだ工場で消耗してるの?」とばかり、芸術に力を入れ始めます。
パリ万博は何度も開催されていますが、その実は「芸術万博と産業万博がドッキングして開かれる」もので、芸術方面にも重要イベントであったということになります。音楽でいえば、作曲コンクールやプロアマそれぞれの団体による音楽フェスティバルなど。
その一環として、パリ万博のために建築というか都市設計にも力を入れます。そこで作られたのが、エッフェル塔、オルセー美術館、グランド・ルー・ド・パリ(大観覧車)、グラン・パレ、プチ・パレなど。現在に残るパリ観光名所も多くあります。
他の文化的、芸術的出展作品は、こちら。
このへん調べていると、芸術ビジネスと権力の癒着が見えてきそうで、あまり深入りしたくないような、怖いもの見たさのような感覚です。
ちなみに、フォーレ『レクイエム』が、私がパリ万博を調べることにしたきっかけの1つです。 世にレクイエムは多くありますが、私が最も好きなレクイエムです。 大御所ミシェル・コルボの指揮で生演奏を聴いたことがありますが、音楽で自然と涙が溢れてきたのは初めての経験でした。これを「感動」などという一言で表すことはできない。人に説明するときはともかく、自分の中では一言でまとめてはいけない気がしている体験です。
ジャポニズムとアール・ヌーヴォーへの影響
先程、ジャポニズムの話に触れましたが、ここで再度登場します。
浮世絵は線で構成されており、何も無い空間と図柄のある部分に輪郭線がくっきりと分かれ、立体感はほとんど無い。これらの特徴はアール・ヌーボーに影響を与えた。 - ジャポニスム - Wikipedia
マネやゴッホやロートレックがジャポニズムに傾倒していたことは有名ですが、そのきっかけの1つとなったのが1900年のパリ万博であったというわけです。
イベント1つでその後百年続く文化を生み出せるほど芸術は単純ではない、というのが私の正直な感覚です。しかし、前述の通り大規模で長期的に開催されていた大文化祭によって、ある種洗脳のような形で人々の心に「新しい芸術」が植え付けられ、トレンドが「作り出された」可能性は否定できないかと思います。
そして、この流れはアール・ヌーヴォーへ続いていくことになります。
ビング(注:パリの美術商、サミュエル・ビング)が万博に出店して人気を博し、店の名前「アール・ヌーヴォ」から様式全体を表す名称となった。 - アール・ヌーヴォー - Wikipedia
まとめ
パリ万博。
ただどんなイベントかと気になって調べていただけのつもりが、ずいぶんとネットサーフィンの時間をとられ近代芸術の基礎を築くきっかけとなったイベントだったようです。産業界でも影響が大きい。
正直まったく調べきれていない、というのが歯痒いですが、そもそも資料が少ない。これ以上詳しくやろうとすると海外(サイト)で探すことになります。英語はともかくフランス語は無理。
どっぷり探すのも面白そうですが、今しばらくは寝かせて置こうと思います。いつか偶然にまた「パリ万博」に出会えることを目指して。
参考リンク
L' Exposition Universelle de 1900 à Paris
euphoniumize-45th.hatenablog.com
今日は、ざっくり日本美術史について、この辺の関係性の話をしました。次回は「皇室のお宝史」ついて、です。 pic.twitter.com/mwMJfiNkAF
— ナカムラクニオ(6次元) (@6jigen) 2018年10月8日