木牛流馬は動かない

テクノロジーや気付きによる日常生活のアップデートに焦点をあて、個人と世界が変わる瞬間に何が起きるのかを見極めるブログ。テーマは人類史、芸術文化、便利ツール、育児記録、書評など。

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書評『縄文人の思い。』

ご存知、ほぼ日刊イトイ新聞で連載されていた、縄文文化研究に対するインタビュー記事。 これがなかなか刺さりましたので、感想を書いておきます。

本ではないので、正確には「書評」ではありませんね。 正しくは何て呼ぶんでしょうか?

縄文人の思い。』目次

  • 第1回 知りたいのは、縄文人の思い。
  • 第2回 縄文人は、頭がいい。
  • 第3回 津南の郷土史家でありたい。
  • 第4回 現代人の目線、縄文人の目線。
  • 第5回 ヒゲの金子先生。
  • 第6回 人が、つなげてくれた。
  • 第7回 自然と共生した1万年。

インタビューの主役は、新潟県津南町にある縄文文化の体験施設「なじょもん」の佐藤雅一さん。 縄文文化研究に従事されてきた方で、2015年から國學院大學兼任講師をされています。

地域郷土史の側面から、 考古学・歴史学民俗学・地学を総合的にとらえ、 出版事業を大切にし、 地域振興・観光も含めた郷土史活用を実践している。

詳細はプロフィールを見てください。

ほぼ日スタッフの発言は、以下「――」です。糸井重里氏ではないもよう。

第1回 知りたいのは、縄文人の思い。

佐藤  縄文時代の生活と、今の自分たちの生活を結びつけては駄目だという意見が、8割。

──   あ、そうなんですか?

佐藤 俺たちみたいに、縄文と現代を結び付けて考える人はせいぜい、残りの2割くらいで。
まあ、たしかに「どうして5千年6千年前の昔話を、今と一緒にするんだ」って、その言い方は、ま、わかるというか。

私、2割だったのか。 思ったより多いな、という印象。2%くらいかと思っていました。

── では、なぜ、そう思うんですか?

佐藤 人間自体は、変わってないからです。 文字はなかったとしても、どっちもホモ・サピエンスなんだから、考えてること、俺たち、一緒だよ。

── 縄文人と、佐藤さんでは。

佐藤 3万年前の人とも、俺たち同じだよ。形質的にもまったく変わりないし。 同じ人間の頭で考えることだから、今も昔も、同じようなことに心を動かすし、同じような原理で動くんじゃない、というのが俺の立場。

私も同じ立場。 人間の、感情や直感的なところは、変わっていない。

変わっていないからこそ、戦争モノの物語は血沸き肉踊るし、朝廷の権力をめぐる陰謀も、歴史に学ぶことができる。

では変わったのは何かと考えたとき、私の考えでは、社会と環境。

ここでは、社会は人間同士の関係性、環境は自然またはそれを(人間が)改変したもの、という意味で使っています。

もちろんこれらは、人間がその長い歴史の中で築き上げてきたもの。 「変わっているじゃないか!」と言われると、社会と環境を含めて人類の歴史という立場をとるなら、そのとおりです。

ところが個人の視点で考えてみると、すこし見方が変わってきます。

人間の個体(一人ひとり)にとって、周囲の環境や社会は、生まれたときから既にそこにあるもの。 自然界に元々存在していたものなのか、それとも先人が作り出したものなのかは、赤ん坊にとって大きな違いではないのです。
1歳の子供でも、タブレットの液晶画面をズームしようと2本の指を広げる仕草をしたりしますね。

人間の思考パターンとその成長は、誰もが生まれたときから、ゼロからのスタートです。 いつだって人間はおいしいものを食べたいし、仲間を守るために敵と戦うし、江戸ではワ印が流行するし、秒で一億稼ぐ人には嫉妬もするし、女性が集まればオシャレとおしゃべりに夢中になる。

そう考えると、人間一人ひとりの違いは、同じ時代に生きる人同士で比べれば「個性」と見ることができるし、 今昔で考えれば(昔の個人を特定することは難しいので、統計的に扱わざるをえないのですが)これも「個性」と呼ぶことができる。 すなわち、今も昔も同じ人間、と言えるのです。

人間は、変わっていない。

ここまでが前提。

第2回 縄文人は、頭がいい。

佐藤 つまり、縄文人は、激変する環境に適応する力があった‥‥
現代の俺らのように、便利な道具や科学技術がなくたって、環境に適応する能力があったんです。

── その意味で「頭がいい」んですね。

佐藤 縄文人という、厳しい自然と共生していた人類から、俺らは、学び得ることが、まだまだ、たくさんあると思います。
何も、縄文社会に立ち戻って、縄文人と同じ生活をしようだなんて、そんなことを言ってるわけじゃなくてね。

とすると、今と昔で、人間は何が違うのか、という話になります。

前述のように、変わったのは人間をとりまく社会と環境と、私は考えてます。

人間が社会と環境を作って(作り変えて)きました。

人間(というか人類)の最も重要な能力は、環境に適応するために知識の蓄積ができることにある、とも考えられます。

佐藤 でもね、1万年という時間のなかで縄文人たちは、独自の文化をつくり上げてきたけど、残念なことに、農耕社会の到来で、その技術や智慧は継承されなかった。

── いったん断絶してる、と。

文化の断絶は残念なことではありますが、仕方ないことでもあります。

時代が変わることで、その社会で求められる知識も変わります。 すると、もはや不要となった知識は、忘れ去られます。

どんな情報であれ、それを情報として保存・維持するにはコストが掛かります1。 「今後使うかどうかわからないけど今はいらない知識」を、将来のために管理維持できるだけの余裕がない場合、まぁ人類の歴史はほとんどそんな余裕はなかったのですが、その知識は失われます。 だから歴史学や考古学が、今でも現役なのです。

なぜ17世紀欧州のルネサンスがすごいかというと、忘れ去られたギリシアやローマ時代の知識が、イスラム世界によって継承・進化を遂げ、欧州に戻ってきたからです。だから「復活」。 イスラム世界ってマジですごいんですよ。

euphoniumize-45th.hatenablog.com

縄文文化も、稲作社会の到来によって、忘れ去られることになりました。 縄文には、イスラム世界に相当する文化継承者がいなかったので、その文化を知ろうとすると、もはや考古学に頼るしかないわけです。

ここで重要なことは、知の蓄積は失われるものと考えたほうがよさそう、ということ。 人類の叡智が知の蓄積だと考えるのは、危険です。財産ではあると思いますが、

dictionary.goo.ne.jp

現代は、人類史上最大の環境変化が訪れている時代といわれています。

環境変化に最も適応した種が生き残るとはダーウィンの主張ですが、適応のためには変化しなければ

環境変化に対する適応力が高いと思われる縄文人(に限らず昔の人々)について知ることで、生物的には同じ種である現代人が今後訪れる環境変化を乗り越えるために必要なものがなにか、見えてくるものがあるかもしれません。

第3回 津南の郷土史家でありたい。

── 佐藤さんは、縄文の人たちって、 どういう話をしていたと思いますか。

佐藤 会話? 同じだと思うけど、俺らと。 思考なんて、だいたい一緒じゃない。

つまり、男はだいたい怠け者で、 女の人のほうが、 朝から晩まで、はたらいてたと思う。

── なるほど。

佐藤 それで、男はたまーに格好をつけて、 「ようし、獲物を獲ってくる!」 とか言いつつ、 みちみちスケベな話しながら行って、 真面目な顔して 「大事な会議だ」とか言ってても、 木陰で馬鹿な話をしてたんじゃない?

── あー、ははは‥‥。

佐藤 ただ、自分たちの領域が侵されたり、 そういう場面では、 男が率先して 出ていったりはしたんだろうけどね。

── 佐藤さんには、そのあたりの、 「縄文人と現代人は、基本的に同じ」 という考え方がベースにあるから、 縄文人の「思い」も、 いつか、どうにか、わかるはずだと。

まさにこれ。

「考えることは同じ」というよりも、「思うことは同じ」と表現したほうが近いかもしれない。

考えは、前提条件が重要になるので、周囲の環境で変わる。 だから、人間の住む社会が変わるなら、思考も変わる。

思うことは、状況さえ揃えば(似ていれば)人間は同じように「思う」ことができるし「思わざるを得ない」。 もう少し限定してしまえば、「人間関係」は変わりません。

前述のように、人間は(個人レベルでは)はるか昔から進化していないため、人間と人間のコミュニケーションもずっと変わっていないと考えることができます。 話すための「話題」は、その社会や時代にあったものが取り上げられることになりますので進化しますが、その話題に対する感情は変化がないと言えます。

繰り返しになりますが、ここが人間が変わらないと私が考える根拠になるところです。

縄文人の「思い」も、 いつか、どうにか、わかるはずだと。

この部分はどうかなと思います。 なぜなら、バックグラウンドとなる社会や思考の技術が、当時と現代で全く異なるものだからです。

縄文人と現代人は、「同じように」思うことはできても、「同じ」思いをもつことはできない。

私はそう考えています。

第4回 現代人の目線、縄文人の目線。

縄文土器の話。 個人的には面白いけれども、特に考察するべき話はありません。

第5回 ヒゲの金子先生。

佐藤さんの身の上話。読み物。

第6回 人が、つなげてくれた。

佐藤さんの身の上話。読み物。

第7回 自然と共生した1万年。

佐藤 東京湾の沿岸にある貝塚なんかも、ていねいに調べていくと、残ったものから、当時、社会規制がかかっていたことがわかるんですよ。

── 社会規制?

佐藤 いわゆる「春に稚魚は取るな」とかね。

で、そういう規制のない集落は、潰れていくんですよ。存続時間が短い。

── つまり、乱獲ってことで。

佐藤 そう。

── そういう「人々のルール」まで、残されたもののから推察できるのってすごくおもしろいし、その延長線上にあると考えたら、縄文人の「心」も見えてきそうですね。

私はこういうのがすごく面白いと思います。

社会を存続させるためにルールを決める。 来年の収穫のことを考えて、今年の行動を決めることができるのが、人間。

佐藤 何度も言うけど、人類が自然と共生した1万年ですよ。人類が、1万年もの間、自然と共生しながら作り上げてきた、ひとつの生きる方法というか。

── それが、縄文。

佐藤 最初は豊かな自然とともにはじまった世界四大文明ってやつも、人間至上主義で自然を淘汰していけば、だいたい千年くらいで滅びちゃう。
その点、自然と共生した日本の縄文は、1万年間、森の民として生き続けた。そこを、知ってほしいと思うんだよね。

『サピエンス全史』でも触れられていましたが、昔の人のほうが、自然との付き合い方は上手でした。 もちろん、昔の人類が万能だったといいたいわけでありません。 現代人との違いは、何に脳のリソースと時間を多く使っていたか、という違いだと思います。

少なくとも、人類と自然が共生した度合いからいくと、現代人と縄文人はかなり異なります。

現代でも、外国人と話してみると自分と考え方がまったく異なることに気づきます。 それでも話しているうちに、分かり合えることも分かり合えないこともある、ということに気づきます。

縄文人は、より「遠くの」外国人のようなものなのかもしれない、とも思ったりします。 それなら、ある程度は理解することもできるような気がします。

まとめ

私にとっては「そう、まさにそれ!」という内容ばかりでしたが、他の人にとってはどうなんでしょう。

この私の趣味といえる個性は、生まれつきのものではなく、生後数十年の生活と教育によるものです。 同じ時代に同じような教育を受けてきた人とは、分かり合える内容も多いでしょうし、もちろん全く同じではないところも多くあるでしょう。

縄文人でも現代人でも、相手を理解しようとしたときに重要なのは、「100%わかる」という幻想を捨てることです。 そして、「わかろうと努力する」ことです。

糸井重里氏は、「コミュニケーションはディスコミュニケーションから始まる」と言っていたと記憶しています(出典わすれた)。 直接話しができないなら、本を介して知る、その人の作品を味わって知る、生活の痕跡を調べて知る。 時代が異なっていても、アプローチは同じです。 そこに歴史を面白いと思う秘密があるように思います。

縄文時代と現代は、つながっている。 それは未来にも、通じている。

www.1101.com


  1. 知識保存のコストについては、小飼弾ブロマガ