書評『虚構推理』
新刊が発売されてちょうどいいタイミングなので書きます。
虚構とはなにか
『サピエンス全史』では、認知革命を経たホモ・サピエンスが「虚構」を手に入れ、その虚構でもって世界を(サピエンスの都合のいいように)塗り替えてきた歴史が記されました。
ここでいう虚構とは、サピエンスの頭の中に共通して存在するもので、実際には存在しないものを指します。 例えば、お金、権力、信用、政治、社会、創作。
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虚構とは何なのでしょうか。 『デジタル大辞泉』を見てみましょう。
きょ‐こう【虚構】
1 事実ではないことを事実らしくつくり上げること。つくりごと。
2 文芸作品などで、作者の想像力によって、人物・出来事・場面などを現実であるかのように組み立てること。フィクション。仮構。
いま話題にしているのは、1のほうの意味ですね。
例を挙げます。
つい先日、日本政府は1万円札の肖像画を渋沢栄一に変更すると発表しました。
この発表があるまでは、紙に渋沢栄一の顔が書いてあったところで、誰もそれをお金とは思いません。 言ってみれば、アンパンマンの顔が書いてある「こども銀行券」と同じ扱いです。
しかし、現在流通しているお金を管理・発行する日本政府が公式に発表したことで1、皆がそれを新しい次のお金として認知しました。 まだ新紙幣が発行されておらず、現物を見た人(一般国民)がいないにもかかわらず、です。なんとも不思議な現象ですね。
これは大変わかりやすい虚構の例です。
さらにこの例でいえば、個人的に気になっているのは、実際に新紙幣が発行された後、現行の紙幣はどうなるか?ということ。
もちろんお金としては引き続き使えるのでしょう。
そうではなく、現行紙幣(旧紙幣)に対する世間の目がどのように変わるのか、を見ることをひそかに楽しみにしています。
世代的には、聖徳太子のお札は見たことはありますが使ったことはなく、紙幣の切り替えは経験したことがないのです。
はたして福沢諭吉は、女性の好きな男性ランキング第1位の座を譲り渡してしまうのか!?
閑話休題。
一例をちょっと考えてみるだけでも大変不思議なことですが、これが虚構の力。 つまり、皆が「そう」と信じたことは、「真実」になるのです。
また、虚構に関連する概念として、「真実」と「事実」があります。 独自の定義にはなりますが、私は以下のように整理しています。
- 真実 … ある条件下において、正しいとされる情報。主観的。複数ありうる。
- 事実 … (少なくとも人類のもつ知識において)どのような条件下でも成立する情報。客観的。ただ1つ。2
第三者による定義がほしい方は適当にググってください。
虚構をエンターテイメントにした作品
上記の通り、人間の社会生活は、ほぼ全て虚構によって構築・維持されています。 実際に手を動かす仕事であっても、業務改善をして、利益を得るところまで含めると、虚構から逃れることはできません。
さて、『サピエンス全史』(ヘブライ語オリジナル版)は2011年発行ですが、こうした話が世界的に広まるのとほぼ時を同じくして、虚構をエンターテイメントに活かした創作作品が登場しています。 もちろん今までも数えきれないほどありましたが、明確に「虚構」を意識した作品となると、このあたりの時期からではないかと思います(ちゃんと調べたわけではありません)。
そんな中、私が最もお気に入りなのが、今回紹介する『虚構推理』です。
虚構推理
文章にすると小難しくなってしまうので、まずは最初のエピソードを紹介します。 すこしネタバレありです。
「鋼人七瀬」編
深夜、悲運のアイドルの亡霊は鉄骨を片手に街を徘徊する。 その都市伝説の名は――鋼人七瀬。
「そんなのは推理じゃなくて、欺瞞じゃない!?」
真実を求めるよりも過酷な、虚構の構築。
自身もまた怪異的な存在である岩永琴子の推理と知略は本物の怪異が起こす事件を止めることができるのか!?
鋼人七瀬とは、アイドル・七瀬かりんの亡霊です。
彼女は、アイドルとして人気絶頂の最中、とあるスキャンダルにより失墜します。
そして、悲嘆にくれるうちに、不幸にも黒塗りの、倒れてきた鉄骨の下敷きになり死亡してしまいます。
まさに悲運のアイドル。
物語は、彼女の亡霊がとある町を徘徊するところから始まります。
最初のうちこそ、噂が目撃談程度でしたが、次第に行動がエスカレートします。 それを受けて世間ではさらに噂が広まり、亡霊でありながら存在感を増していきます。 そして、鋼人七瀬はついに殺人事件まで引き起こします。
本作は、一応ミステリに分類される作品のはずですが、真犯人が亡霊です。
普通のミステリファンの方であれば、ここで一歩引いてしまうかもしれませんが、それは時期尚早。
本作は、本格ミステリ大賞受賞作でもある、ちゃんとしたミステリです。
受賞したから「ちゃんとしたミステリ」かというと、そういうわけでもないのですが、本作の著者も述べているようにミステリの定義を語りだすときりがないので、ここでは割愛。
さて、主人公はなんやかんやあり、「その事件の犯人が亡霊でない」ことを証明しなければならない状況に置かれます。
しかも、「鋼人七瀬という亡霊すらいなかったことにする」、という条件もついています。
さらに、殺人事件に関して、亡霊ではない別の犯人をでっち上げなければなりません。 亡霊がいなかったことにするため、実在の人間でなければ筋が通りませんが(この場合、事故死ではダメ)、しかし、そのようなとばっちりで誰かの人生を壊していいはずがありません。うまくごまかす必要があります。
すでに3つの制約がついてます。
これだけでも十分難問かと思いますが、更に厄介な条件が追加されます。
それが、上記の内容を証明する相手。
相手は「不特定多数」です。
誰か特定の人物であれば(難癖のある性格のキャラクターであっても)説得するなり対応は分かりやすいのですが、本作ではインターネットの掲示板を見ている、どこの誰ともしれない一般人多数が相手です。
作中では「議会」と喩えられていますが、今回主人公は、誰ともしれない民衆を説得しなければならないのです。
しかし、民衆とは、正論を述べたところで納得しません。 主人公が提示しなければならないのは、以下のようなシナリオです。
論理的に筋が通っており、無関係な他人が無責任に(もともと責任はありませんが)「こうであってほしい」と思うような期待に答え、エンターテイメント性もあって民衆に支持されるような結論を提示すること。
このような複雑な条件下で「事実とは異なる真実」を証明することが求められます。 まさに虚構の構築をおこなう知的作業です。
「事実とは異なる真実」とは、前述の通り、以下をすべて満たしたストーリーを提示する、という課題になります。
- 殺人事件の犯人は亡霊ではなく、実在する人間であること
- 鋼人七瀬という亡霊はいないということ
- 不特定多数の一般人が「こうであってほしい」と思うシナリオ
無茶振りもいいところです。 なんとも小難しい話ですが、小説版でも漫画版でも、じっくりと分かりやすく描写されているのでご安心を。
論理の目的地さえ押さえれば、曲芸のようなディベートによる最高のショーを楽しむことができます。 これらをすべて満たした、論の展開も、最後の結論も、私はかなり驚かされました。 すべての条件を満たし、かつ、「なるほど!」と膝を打つ解決を提示するのが本作、というわけです。
そして、このような小難しい複雑な話とその解決を面白く魅せるのが著者の真骨頂であり、まさにその点が、私が当代で最高の(と思っている)推理小説家を推す理由なのです。
それにしても、なぜ著者は自らにこんな厳しい制約を課しているのでしょうか…
得意とはいえ、ラクにできるわけはないと思うのですが。
いえ、もちろん面白い作品のためというのは分かっているのですが。
これは純粋な興味なのですが、誰か(ミステリ作家さん)、同じ条件で別のシナリオを書いてみてくれませんかね。
嘘は虚構に帰る
個人的には「鋼人七瀬」編が最も出来が良く、面白いエピソードだと思っていますが、別のエピソードでコミカライズの連載が続いています。3
というより、もともと原作小説は「鋼人七瀬」のみであり4、その後はコミカライズ用に書き下ろしたエピソードです。 どれも状況は違えど、テーマは同じです。
嘘を証明する
嘘は状況に応じて意味を持つ
嘘を証明するためのでっちあげの理論を組み上げて「虚構」を生み出す
本作を読んでいると、嘘を嘘として自在に活用できる人が「最も怖い人」なのかもしれないと、思えてきます。 あるいは、何かを信じ込み、本人すら嘘と思っていない人も、ある意味で怖いですね。
『FACTFULLNESS』が(誰かにとって)意味のあるデータに基づいた社会を描いたり、エコーチャンバーに生きて限られた真実しか見えていない人々が大騒ぎしていたりする現代で、嘘を積み重ねてエンターテイメントに昇華した本作は、ある意味で時代に最もふさわしい娯楽作品といえるのではないでしょうか。
アニメ化も楽しみです。
- 作者: 片瀬茶柴,城平京
- 出版社/メーカー: 講談社
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- 作者: 城平京,片瀬茶柴
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