書評『少年の改良』

- 作者: 町田康
- 出版社/メーカー: Amazon Publishing
- 発売日: 2018/09/04
- メディア: Kindle版
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いきなりですが、『徒然草』の一節を紹介します。
第172段
若き時は、血気内に余り、心、物に動きて、情欲おほし。 身を危めて砕け易きこと、珠を走らしむるに似たり。 美麗を好みて宝を費し、これを捨てて苔のたもとにやつれ、勇める心盛りにして、物と争ひ、心に恥ぢ羨み、好む所日々に定まらず。 色に耽り情にめで、行ひを潔くして百年の身を誤り、命を失へたるためし願はしくして、身の全く久しからんことをば思はず。 好けるかたに心ひきて、ながき世語りともなる。 身を誤つことは、若き時のしわざなり。
書評と銘打っているブログエントリで、いきなり別の本の話をするのもどうかと思いますが、そこは無視します。
で、このくだりですが、つまるところ「若気の至り」について、まとめた文章となります。
得てして若者は向こう見ずな暴走をしがちです。
老人はこれを嗜めますが、若者は聞きません。
若者が大人になったときに、老人の言葉が本当であったと初めて気づきます。
そして、老人になった若者は、次の世代の若者に老婆心からの忠告をする。
(4行上に戻る)
この世代間の繰り返しシステムは、はるか昔から変わらずに存在する、人類の大きな特徴のひとつです。

- 作者: 吉谷光平
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/08/30
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人類は進化していない
この繰り返し老婆心システムですが、ある意味では、人類が生物として進化していないことの証拠のひとつとも言えます。 少なくとも、数万年は変わっていない。
仮に、個体単位で世代間の記憶を直接受け継いでいくような機能が備わっていれば、より早い進化が実現できるはずです。 たとえば、キメラアントのように。
しかし、人間はこれをしない。
火を起こし、農業を始め、権力と格差をつくり、お金の概念を発展させ、資本主義を生み出すまでになりました。
これらはすべて、周囲の環境や人間との「関係」が変わったのであり、人間自身が変わったとは必ずしも言えません。
人間が生み出したさまざまな技術やノウハウは、文化や技術や法律という形で記録に残されたり、あるいは暗黙知として無形に語り継がれるものなど、様々な形態があります。
良い効果をもたらす知恵だけでなく、忌避されるべき行動も同様で、なんからの形で後世に伝えられています。 たとえば、牡蠣の生食で中った経験から、料理のスキルを上達させたり、「食い合わせ」というノウハウを編み出しました。
これらはあくまで生きている人間が、親から子へ、あるいは語り部から村の若衆に語り聞かせることで、継承されてきました。 食中毒で死んだ人を見た、生き残された人間によって、発見と研究が積み上げられてきました。 つまり、継承が必要ということです。
何が言いたいかというと、縄文時代も現代も、人間そのものはたいして変わっていない、ということ。 変わったのは、環境や社会です。 人間自体は変わっていないから、継承された知恵が現代まで活きるし、継承を受けなかった個体は同じ失敗を繰り返すのです。
ここで議論は2つあると考えます。
1つは、人間の定義。 たとえば仏教でいう「縁起」を持ち出して、関係性こそが人間という立場をとるならば、人間が進化しているといえるかもしれません。 しかし、これは社会的な進化であり、生物学的な進化とは別の観点と言えます。
もう1つは、テクノロジーの進歩により、人間が自身の身体を操作・編集し始めたこと。 主にバイオテクノロジーや身体増強、拡張などです。 長くなるので詳細は割愛しますが、これはひょっとすると生物学的な進化が始まっているかもしれないと思うと、胸アツな時代です。
まぁ、結局のところ、人間の生物的な特徴は昔からたいして変わっていない、という結論を言いたいだけですが、このへんはもう少し考えたいところでもあります。
一応、誤解あるかもしれないので書いておきますが、私はこの結論を前提に「では、人間の歴史の中で変わったことはなにか?」ということを考えていきたいので、こうしてブログに残しています。
書評『少年の改良』 / 町田康
前置きが長すぎて脱線しまくりましたが、やっと本の紹介です。

- 作者: 町田康
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- 発売日: 2018/09/04
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遠縁にあたる17歳の少年を相手に、「ロックとは何ぞや?」と「私」が煩悶する短編小説。
「私」は、突然、訪ねてきた女性の美貌に惹かれ、相談に乗ってしまう。美女は、もう20年以上会っていない従姉妹の子。17歳の息子「直征」が、ロックにかぶれ、学校をやめて、ロックで身を立てたいと主張しはじめた、思いとどまるよう説得して欲しいというのだ。
会ってみると、「直征」は母親似の美少年。髪を金色に染めていても、利発そうだ。自身も若い頃、ロックに凝り、ロッカーの知り合いが多く、ステージに立った経験さえある「私」は、「直征」にロックの厳しさを教え、ロックを諦めさせようと気合を入れてみたものの、反応は芳しくない。「私」はライブハウスや貸しスタジオでにぎわう「ロックの町」へ、30年ぶりに「直征」を連れて出かけてゆく……。
二人の珍妙なやりとりは、笑い以上に郷愁を誘う。町田版「感情教育」は、なんともほろ苦い余韻を残す仕上がりだ。
大人から見たら間違った方向へ進もうとしている若者を、どうやって説得するか。
少年を説得しようとしている「私」は、少年の母親に対し下心を持っている(ので説得を引き受けた)が、これは「間違った方向」ではないのか?
そもそも大人は「正しい方向」を知っているのか?
貴様が自らを大人と言うならば、私を正しい道に導いてくれ
(『絶園のテンペスト』より)
というセリフを思い出したりもしましたが、「若い世代を導けるような大人になりたいもの」と「本当にそんな完璧な大人がいたら気持ち悪い…」の両方の感想をもちました。人間とは難儀なものです。
まとめ
本書は、物語の内容から受ける感想というよりは、それによって派生する思考が膨らんでいくタイプの読書体験でした。 あくまで私にとっては、ですが。
考えたことはいろいろありましたが、まとまらないのでそのまま載せました。
ところで、上で「人類は成長しない」という内容を書きましたが、いまこれを書いていて、その理由(の1つ)に思い当たりました。
それは、人間(の脳)は忘却機能を備えていることです。
忘却はセレンディピティの前提となる、脳の重要な機能です。
人間の脳は、過去の膨大な知識を蓄えておけるようにはできていないのです。
忘却が前提にあるので、脳の外部に知識を残し、文字と紙を発明し、コンピューターを生み出したのです。
だから、(キメラアントのように)直接知識を脳に挿入されるような仕組みになっていないのではないかと。
異論反論あるかもしれませんが、なんというか、私はこれが一番しっくり来ました。
今回はここまでにしますが、忘却について詳しく知りたい方は『思考の整理学』をどうぞ。
ま、そんな小難しいこと言わなくても、「つらいことは、酒と音楽で忘れちまえ」というのが、人間に与えられた楽しみ方でもあり、忘却機能の正しい使い方であり、かつ防衛本能でもあるように思えます。

- 作者: 外山滋比古
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1986/04/24
- メディア: 文庫
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