木牛流馬は動かない

テクノロジーや気付きによる日常生活のアップデートに焦点をあて、個人と世界が変わる瞬間に何が起きるのかを見極めるブログ。テーマは人類史、芸術文化、便利ツール、育児記録、書評など。

木牛流馬は動かない

書評『これからの世界をつくる仲間たちへ』

これからの世界をつくる仲間たちへ
落合陽一

これからの世界をつくる仲間たちへ

これからの世界をつくる仲間たちへ

★★★★

人として。

我が家では毎年の育児のテーマを決めています。 といっても、そんな大層なものではなく、それに基づいてなにか具体的なアクションをするわけでもなく、子供を叱ったりする際の判断基準みたいなものです。

よくわからないかもしれないので、例を挙げると、2016年の育児テーマは「人として」でした。

くだらない話ですが、子供って、風呂上がりに服を着ないで走り回るのは当然として、一切の予兆なく突然オムツを自分で脱いでおち○ち○びろーんしたりします。これは一例ですが、こういうことが日々重なると、もう自分のこれまでの常識が通用しない異世界な感じ。ほぼ一日中育児してる専業主婦すげえ。

とはいえ、こんなとき親としては叱らなきゃなりませんが、叱る基準があるとやりやすいかな、と。それが我が家でいう「人として」にあたります。 少なくとも現代日本で3歳前後を想定すると、わかりやすいところでは以下のようになるかと思います。 母子手帳には厚生労働省が決めた基準も書いてありますから、お好みでそちらも参照のこと。

  • 健康であるか?
  • 服をちゃんと着ているか?
  • スプーンやフォークを使って食事ができるか?
  • 何かしてもらったときに「ありがとう」が言えるか?
  • 自分のやりたいこと、他人にやってもらいたいことを言葉で要求できるか?
  • 他人と何かをシェアできるか?

かといって、じゃあこれさえできればいいのか、というと、当然そんなことはなく。 仮にスパルタ的に鍛えてこれらを出来るようになったとしても、体力や技能的なところはともかく、「人として」をテーマとするならば、まぁ違いますよね。

答えはその「まぁ」のところなわけで、ぼんやりとは見えてても、はっきりとは言語化しにくく、家庭によっても異なるところでもあります。 これは日々考え続けていくのが育児の一環なのだと思ってます。

さて脱線しまくりましたが、ここでいう「人として」の基準。 今後のコンピュータ(AI含む)と人間の関わりを考えたときに、この基準を作り出すことが、人間の立つべきポジションのヒントになるのではないか?と思うんです。

叱るということは、即物的に言えば、あるべき姿であるように(やるべきことをやるように)軌道修正を命じることです。 叱る側は当然「正しい姿を知っている」ので叱ることが出来るわけですが、実は「知っている」という概念もかなり曖昧です。 ここを言語化することが人間の役割になるのかな、と思います。

本書では、

力ずくでなんとかなるものは、すべてコンピュータにやられる

と表現されていますが、誤解を恐れずに解釈すると、力ずくとはその対象となること以外を何も考えない、ということ。 つまり、やることが決まっているわけです。 なら、それはルーティーン(になりうるタスク)なわけで、そしてそれこそがコンピュータの最も得意とする作業です。

そこそこITが普及してる現代日本を想定しますが、「ある社会の中で」あるべき人間の形(を追求すること)ことは、コンピュータで代替できるものだと私は考えます。 「この場合はこういう行動をすべき」という道徳の教科書的なswitch-case文をいくら並べてもキリがないですが、特定の社会という制限範囲があるなら、どうにかAIが頑張れると思います。

では人間はというと、この制限範囲を飛び出すことになりますが、そこではこれまでの「道徳」が通用しない可能性が高いです。 それでも尚、人としてあるべき姿をもち、新しい基準を作っていくこと。 これこそがこれからますますコンピューター化していく社会において人間のやるべきことではないでしょうか。

ピカソが高く評価される理由」を答えられるか

今の私にとって、本書で最も印象的だったのが、この質問。 自分の判断基準を持っていますか?ってことなんですが、自分の好みとなるとこれが難しい。

正直、美術検定なんてとったりしましたが、ピカソの良さが全く言語化できないんです。 いや、ピカソは好きだし、「青の時代」が実は素晴らしいだとか、セザンヌアンリ・マティスを観た後に『ゲルニカ』を観るとヤヴァいだとか、ポーラ美術館はいいぞとか、くらいは言えるんです。
しかし、これっていかにも教科書的で、全くもって自分の言葉ではないんですよね。 多少美術に興味を持っているだけに、愕然としました。 でも、どう考えても、自分の言葉ではピカソの良さが出てこない。

そんな時にたまたま目にしたのが、この言葉。

どうして自分にとってこれが好みなのか言葉にしていければ、これは嗜好から趣味になってくれます。 (堀 E.正岳, Lifehacking Newsletter 2016 #09)

やはり言語化は訓練していかないと出来るようにはならないようですね。ええ、知ってましたとも。

まずは、好きな絵や本について、このブログで言語化できたらな、と思っています。 言語化は、私の今年の目標かもしれない。

ちなみにピカソについて知りたい方(特にピカソ初心者)は、原田マハ『楽園のカンヴァス』 がオススメ。

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

イデアを検証する

本書では、アイデアが「使える」かどうかの検証に、以下の質問をぶつけています。 会社のアイデアコンテスト的なイベントに応募して全滅した身としては、どれもこれも耳が痛い。

  • それによって誰が幸せになるのか?
  • なぜいま、その問題なのか。なぜ先人はそれができなかったのか。
  • 過去の何を受け継いでそのアイデアに到達したのか。
  • どこに行けばそれが出来るのか。
  • 実現のためのスキルは他の人では到達しにくいものか。

マーケット、技術的積み重ね、新規性を掴んだ的確な質問です。

もはや反論のスキもなく、徹底的に(尻を)叩かれた気分なので、まずはここから始めます。 私のひみつのアイデアメモのテンプレートを変更して、上記の5つの質問が記入できるようにしました。 これでどんどん書いてみようと思います

本書は若い人ほど読んで欲しい、本当に『これからの世界をつくる仲間たちへ』贈る檄文です。