木牛流馬は動かない

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農業革命を振り返る / 書評『サピエンス全史』(3/8)

※このエントリーは、書評『サピエンス全史』シリーズの3回目です。 前回はこちら

12,000年前に起きた、狩りから稲作への食料生産革命。 それが農業革命です。

本書『サピエンス全史』でも第2部まるごと使って説明しているほど、現代の我々の生活に影響がありすぎる、超重要イベントです。

(ネタバレありです。未読の方はご注意。)

農業革命とは

農業革命以前のサピエンスは、狩猟採集中心の生活をしていました。 このときサピエンスは、肉食や果実など多彩な種類の食物を摂り、文化も地域ごとに様々なものが発達し、実は結構豊かな暮らしをしていたようです。 実は、生物個体としてのサピエンスを見ると、この時代が最も身体能力に優れていたとのこと。 狩りや移動中心の生活をしなければいけないので、当然といえば当然です。

しかし、あるとき状況が変わります。

一万年ほど前にすべてが一変した。それは、いくつかの動植物種の生命を操作することに、サピエンスがほぼすべての時間と労力を傾け始めたときだった。人間は日の出から日の入りまで、種を撒き、作物に水をやり、雑草を抜き、青々とした草地にヒツジを連れていった。こうして働けば、より多くの果物や穀物、肉が手に入るだろうと考えてのことだ。これは人間の暮らし方における革命、すなわち農業革命だった。 - 『サピエンス全史』

なるほどねー。 まずは人間がよく食べる植物の成長を発見して、次第に自分たちで栽培するようになり、それまで移動中心の生活も終わりを告げ、定住が始まるわけですね。

農耕への以降は紀元前九五〇〇~八五〇〇年ごろに、トルコの南東部とイラン西部とレヴァント地方の丘陵地帯で始まった。 - 『サピエンス全史』

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/28/Levant.gif Wikipediaより

本書では、ここから小麦、ヤギ、エンドウ豆、オリーブ、馬、ブドウ、トウモロコシなどの具体的な動植物を挙げて、これらがおよそ何年頃から、どの地域で、栽培、家畜化が始まったのか解説しています。 ここは、Google Mapsよりも子供向けの世界地図を見ながらだと(現代の)特産品なんかも知れて、分かりやすいかもしれません。

世界がみえる地図の絵本

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農業革命は史上最大の詐欺

さて、農業革命で素晴らしい時代の幕開けじゃ!と言いたいところですが、事はそう簡単ではありません。

当時のサピエンス達は、当時として最適な選択をした(と思いこんだ)結果として、農業を始めました。 ところが、その「最適な選択」は誰にとってのものか? 少なくとも、サピエンスにとっては、完全に罠でした。

人類は農業革命によって手に入る食糧の総量をたしかに増やすことはできたが、食糧の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生に繋がった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。 - 『サピエンス全史』

これを読んだときは大変な衝撃を受けました。

それまでのサピエンスは、自分で好きなものや健康に良いものを選んで食べ、狩りと移動が中心の生活を通して身体能力を高め、自由に生きていました。 しかし、農業革命によって、サピエンスはその自由を奪われました。定住を強いられ、せっせと作物を栽培し、懸命になって働かざるをえなくなりました。

農業を始めたことが農業革命ではないのです。 食糧が増えたことでもありません。

革命とは、権力の移行を伴うもの、というのは以前のエントリーで書きました。
これに従えば、サピエンス(個体)は、農業革命の負け組です。 ただし、サピエンスという人種の繁殖に関していえば、勝利者と言えるかもしれません。なぜなら、農業によって、人口が爆発的に増えたから。

ところが、農業革命でサピエンス以上に繁殖に成功した生物がいます。著者によれば、それがサピエンスを奴隷化した、とまで述べています。

それでは、その「我々のご主人様」、つまり詐欺の真犯人は誰なのか? あんまりネタバレしすぎてもよくないので(いまさら)、ここでは書きませんが、本書を読んで驚いてもらえればよいかと思います。

さらに驚くべきなのは、我々が奴隷になる見返りとしてその真犯人が我々に与えたものは、なんと「サピエンスの種としての繁栄」のみ。 個人個人にとっては、「より優れた食生活」でもなく「経済的安心」でもない。 「人類同士の暴力」からも守ってくれず、人類をこき使い倒します。

しかも、農業によって食糧が増えるから、人口が増える。人口増加に合わせて、もっと食糧が必要になる。 この華麗なサイクルが回り続け、サピエンスは現代でも奴隷のままでいます。

それでも人類は、それを是として、必死に農業に邁進していくことになるのです。 そんな完璧な支配、歴史好きといえども寡聞にして存じあげませんね。 まさに詐欺!

それにしても、なぜこの詐欺に誰も気づかなかったのか?

小さな変化が積み重なって社会を変えるまでには何世代もかかり、社会が変わった頃には、かつて違う暮らしをしていたことを思い出せる人が誰もいなかったからだ。そして、人口が増加したために、もう引き返せなかったという事情もある。 - 『サピエンス全史』

まぁそりゃそうなんでしょうけどね。 現代人の感覚からいったら「なんで!?」と言いたくもなりますが、当時は数百年をかけて少しずつ農業に移行していったので、止めようがないというわけですね。

まったく、何千年もかけて五月雨式に仕事が増えるとも知らずに、我々の祖先もやってくれたものです。

定住の意味

では、農業革命がなぜオーストラリアやアラスカや南アフリカではなく、中東と中国と中央アフリカで勃発したのか? - 『サピエンス全史』

こういう文化の発端を見ていくと、その当時の人がどういう環境に置かれて、何を考えて、その文化を始めたのかが分かります。
特に、定住が始まるということは、どこに住むか?が、食糧生産量の観点でも、政治(地政学)的にも、重要な意味をもつことを意味します。
本書では、農業革命の舞台となった地域の理由や、栽培・家畜化の対象となった動植物がどうやって選ばれたのかも、もちろん解説されています。

私はこういった(各ジャンルの)「歴史の始まり」が凄く面白いと思うわけで、こんな面倒なエントリーを書いているのですが、この視点は、その発展や現代どうなっているかを理解するときにも役立ちます。 私が興味を持ち始めたのは、自分で地図を読み始めてからですが、ぜひ小中学生あたりからこういう学校教育をしてほしいところ。
脱線しました。

定住について。
農業革命が詐欺と言っても、集団としての生活が豊かになる意味を考えたとき、女性と子供の存在は大きかったんじゃないかと思うわけです。 農業革命以前は、食料を求めて移動することが前提の生活でした。 正直、これは幼子がいる家庭(集団)にとっては、だいぶ負担だったはず。 実際、間引きなども行われていたようです。

昔のほうが身体能力が高かったとはいえ、交通が発達した現代ですら子連れでの移動は大変なのですから。

集団内の女性サイドから「定住してほしい」という要望があったとき、移動しなくても(定住しても)食料が手に入るなら、個人や小集団の単位でみれば、十分選択肢として有効なものでしょう。

男尊女卑文化があったのかどうか、専門家でもないし、実際のところは分かりません。 しかし、仮にそんな高度な文化はまだないような時代と考えれば、ひょっとしたら現代よりも男女平等だったのでは?と推測できます。 もしそうなら、女性の意見も受け入れられやすそうです。 男性が狩りをしたい!というならば、定住しつつ、狩りに出ればいいわけですし。 このあたりも、定住の推進につながった一因なのかもしれません。

本書では、農業を始めた後の社会の様子も描かれます。 増えた食物をどうするか、というと、社会・文化の発展と絡んできます。 つまり、定住者が増えると街ができます。そこの権力者は、人を多く集めるために、食糧の蓄えを多く持たなければなりません。

ここから政治体制や経済の話につながっていきますが、それは次回以降に。

私の名前は高城 剛。住所不定、職業不明。

私の名前は高城 剛。住所不定、職業不明。


(現代でも住所不定な人もいますね)

農業の功罪

農業革命の詐欺については、非常に面白く読めるのですが、その後の章では、現代までの農業関連の発展の歴史が綴られています。

正直、読むのがこんなに苦しい本(章)は初めてかもしれません。

農業革命でサピエンスが他の動物(とサピエンス自身)に対して行った罪は、計り知れません。

いのちの食べかた』も同じような感覚になったけど、あれはあくまでも「現代どうなっているか」を切り取った作品。 それはそれで大変な衝撃ではありました。

いのちの食べかた [DVD]

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しかし、本書は人類が歴史的に行ってきた家畜化の手法をさまざまに紹介している点で、それ以上かもしれません。
ただ「いまこうなっている」のを提示されるよりも、「これまで○○だったけど、△△の目的のために××を始めた」というストーリー仕立てで描かれると、感情への訴求レベルが桁違い。

最も攻撃的で御し難い子ヒツジが真っ先に殺された。最も従順で魅力的な子ヒツジはもっと長く生かされ、子供を生んだ。その結果が、家畜化された従順なヒツジの群れだったわけだ。 - 『サピエンス全史』

「なぜそこで、この道を選んだ」とか「もしこの場にいたら、自分ならどうする」とか、いろいろなことを考えてしまいます。 もしこの章だけ読んだ人がいたら、極端な「地球上すべての生きとし生けるもののため、全人類を誅すべし」という考えに陥る人が現れてもおかしくないかもしれません。

でも、それは現代から見ているから言えること。 それぞれの時代のサピエンスは、当時の状況下においては(結果的に)最善の選択をしています。 著者も、現代の視点のみで過去数千年を断じるのは早計に過ぎる、と警告します。

加えて、さらに苦しいのが、サピエンス自身への苦しみも描かれること。 未来のために蓄えを増やし、定住して文化を発達させた人類は、本当に幸せになったのか?

農業革命によって、サピエンスは自然との共生を手放し、自然を操作する方針にシフトしました。まぁ上で見たように、結局それも詐欺だったわけですが。
それでも、結果として豊かに得られるようになった食糧と、定住による視点と思考の固定化、そしてこれらによって得られる(と信じる)未来の富に目を奪われて、世界や自分自身が見えなくなってしまっているのかもしれません。

種としてのサピエンスが、現実と虚構の区別をつけられる時代は、いつ現れるのでしょうか?

食事の質を上げる

農業革命で食糧の量は増えたけれど、質はどうなんでしょう?

ここでいう質とは、単に高価や美味であることではなく、食生活が健康や身体能力に及ぼす影響のことです。

昔はそもそもそんな余裕はなかったのでしょうし、こうした知見が科学的な説明によって認知されてきたのは、ここ数十年のことでしょう。

本書では、そのあたりをネアンデルタール人とサピエンスで比較しており、なかなか興味深い考察がなされています。

また、1日3食も昔からの習慣ではないようです。

いまから200年ほど前の人類は、1日2食の生活を営んでいた。それを1日3食に変えたのは、かの発明王エジソンである。エジソンは、自身が発明したトースターを売るために「ブレックファスト」を商品同様に普及させたのだ(ついでに電気を消費させるためにも)。
(中略)
その後、「人間は1日3食」運動に食品業界やスーパーなどの流通が、次々と相乗りすることになった。なにしろ、それまで1日2食だったのが3食に増えるので、ざっくり見積もっても売り上げが30%以上も上がるわけで、笑いが止まらない。
- 『多動日記 (1)』高城剛

現代の日本(首都圏)に暮らしていると、本当によくわかりますね。 人類が長年をかけて大量の食糧を得ようと試行錯誤を繰り返した結果、現代では24時間コンビニで弁当が買えるという、驚くべき飽食の時代になりました。
食糧生産の効率は人類史上かつてないほど上がっています。 しかし、化学調味料と保存料にまみれた食品が多いことも事実。
現代の食の話をしてしまうとテクノロジーに触れざるをえないので、ややこしくなる前にここまでにしておきますが、こうした数千年単位の振り返りができる時代に突入したことに触れて、著者は、地球上のすべての動植物を対等に扱った上で人類の所業を今いちど見直す、そういうことが必要な時期に来ている、と提唱しています。


(食べ物について考え直してみたいと思った方は、まずコチラ↑を聞いてみてくださいませ)

さて、今回はこのへんで。 お腹減ったし、ゴハンでもたらふく食べに行きますわ。


(↑本書とは一切関係ありませんが、BGM代わりにどうぞ)