木牛流馬は動かない

テクノロジーや気付きによる日常生活のアップデートに焦点をあて、個人と世界が変わる瞬間に何が起きるのかを見極めるブログ。テーマは人類史、芸術文化、便利ツール、育児記録、書評など。

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書評『酔歩する男』

Twitterで見かけて、興味をもって読んでみたホラー小説。

載っている作品は2つ。

玩具修理者

書名でもある『玩具修理者』は、面白かったし、ラストの衝撃もなかなかのものでしたが、個人的にはあまり好みではありませんでした。 一部スプラッターな描写があることも知らずに(通常であれば別に平気なのですが)うっかり食事中に読んでしまったことが原因かと思われます。 完全に自分のせいです。

なので、こちらは作品あらすじを載せるに留めることにします。

玩具修理者は何でも直してくれる。独楽でも、凧でも、ラジコンカーでも…死んだ猫だって。壊れたものを一旦すべてバラバラにして、一瞬の掛け声とともに。ある日、私は弟を過って死なせてしまう。親に知られぬうちにどうにかしなければ。私は弟を玩具修理者の所へ持って行く…。現実なのか妄想なのか、生きているのか死んでいるのか―その狭間に奇妙な世界を紡ぎ上げ、全選考委員の圧倒的支持を得た第2回日本ホラー小説大賞短編賞受賞作品。

浮遊する男

個人的には2つ目の『浮遊する男』を推したい。 ホラーでもあり、またSFでもあり、ある意味では哲学とも呼べるかもしれません。

あらすじは次のようなもの。 公式のあらすじは無いようだったので、少し長くなりますが独自に要約します。

あらすじ

学生時代にある一人の女性・手児奈(てこな)をめぐって争った、2人の主人公、血沼(ちぬ)と小竹田(しのだ)。 よくよく話してみると、勘違いも含まれるのだが、彼女は結果的に主人公たちを二股にかけたことになった。 それが直接の原因かわからないが、彼女は謎の言葉を残し(もともと言動が不思議ではあったが)、電車に飛び込んで自殺した。

血沼と小竹田は、混乱と悲しみの中で、手児奈を取り戻すことを誓う。 正確には、本気で彼女を取り戻そうとしているのは血沼だけで、小竹田はいわば罪滅ぼしのために血沼に付き合っているだけなのだが。

血沼が語った計画は、医者になるために医学部に編入すること。 その意図は、失われた手児奈を求めて、彼女の細胞から手児奈のクローンを作ること。 血沼は事故現場から手児奈の肉体の一部を持ち帰っていたのだ。 小竹田は、血沼に対する罪滅ぼしにもなるので、医者を目指すことにし、実際に医者になった。しかし、預かった手児奈の肉体は破棄した。 仮にクローンを作ることができたとしても、それは同じ遺伝子を持っている人間というだけであって、本人ではない。小竹田はそれが分かっていたからだ。

ところで、血沼は、ある時から医者を目指すのをやめた。あきらめたわけではない。 小竹田が医者になるのなら、2人で同じ方法を取るよりも、自分は別の方法で手児奈を取り戻そうと考えたのだ。

血沼の考えたもうひとつの冴えたやりかたは、タイムスリップを行うこと。 といってもタイムマシンの発明を行うわけではない。 精神上のタイムスリップを行うのである。なぜなら、時間の流れは人間の意識が作り出しているものだから。意識をコントロールすることで時間の流れを逆行させようとしたのである。 その方法は、脳のある部位を破壊すること。粒子線癌治療装置を使うことで、開頭手術を行わなくてもそれを実現することができるし、医者になった小竹田はそれが使える立場にある。

血沼と小竹田は、それぞれ粒子線癌治療装置に入り、脳の「処置」を行ったーー

感想

ここから感想です。なるべく抑えますが、ネタバレありです。要注意。

まず本作はあらゆる点で狂気を前提としているところに注目です。 死んだ手児奈を取り戻す思考も、手段も、仮に成功したとしてどうするのか、も。 血沼は医学でなくタイムスリップを目指したわけですが、実際、小竹田が医者でそれなりの地位になるのに30年を要したわけで、リスク管理の観点から言っても計画性があったことになります。 狂気の中にいるのに計画性があるとか、超怖い。

さて、本作のタイムスリップについて。

まず人間の脳は記憶した情報を整理するために睡眠をとります。 睡眠中は意識がないにもかかわらず、睡眠の前後で時間が連続している(夜と朝で記憶が連続している)ように私達が認識しているのは、脳のある部位の機能による現象、というのが血沼の理論です。シュレーディンガーの猫などを持ち出しつつ詳細に説明があるので、ここは是非本書を読んでほしいところです。

ともかく、脳の処置を行ったことで、2人は時間の連続性を認識する脳の機能を放棄しました。 それの意味するところは、睡眠をとったら、今日の次が明日にならないということ。

ではいつになるのかというと、未来にも行くし、過去にも行く。 行き先の時間を制御できればよかったのですが、残念ながら彼らには制御不能、完全にランダムでした。 それでは、手児奈のいる時間にたどり着くことはあるのか。それはいつか。

たどり着く保証はないにもかかわらず、彼らはその日を待ちながらタイムスリップを続けるしかないのです。 これはつらい。

本作では、タイムスリップは脳の機能(の欠如)という扱いです。 時間の流れは主観的なのです。

そのため、同じ処置をした2人といえども、同じ時間軸にタイムスリップするわけではなく、それぞれ別の時間軸にタイムスリップすることになります。

どこかの時間軸において、お互いが再会することが仮にあったとします。2人が二人ともタイムスリップを認識している状態(時間)であればよいのですが、どちらか片方しか認識していない時間に飛んでしまうこともありえます。すると、もはや理解者がいないことになります。永遠の孤独です。

また、睡眠をきっかけにタイムスリップするならば、「夢」を見たらどうなるのでしょう? あるいは、同じく意識をなくす「死」ではどうか。 考えれば考えるほど怖くなってきます。

そして、このネタは考えてもわからないからこそ、怖いのです。

少なくとも、私はこれを虚構であると断言することはできないし、現代科学でそれを証明することが可能とも思えません。 逆説的ではあるのですが、証明のしようがないためリアリティがある、というわけです。

まとめ

このような上質な作品に出会えるから、ホラーも見逃せないジャンルです。非日常に慣れてしまうと怖さを楽しめないジレンマもありますので、たまに味わう程度にしておきたいところです。怖いのが苦手なわけではありません。

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